お坊さんはもっと堂々とするべき

bussei

先日、うちのお寺で「お寺座LIVE」という音楽会を催しました。
イベントの内容は、3組のミュージシャンをお招きし、間に一口説法を2回、ラストに読経で締めるという流れです。今回の説法はぼくとメリシャカメンバーでもあるけんゆうくん。
説法(法話)を途中に入れて読経で締めるやり方は、築地本願寺ライブ「他力本願でいこう!」の初回に参加し、説法や読経と音楽の相性の良さを目の当たりにして、とても自然に受け入れられたので同じ方法を取ることにしました。
「他力本願でいこう!」の他にも、その原型となるイベント「誰そ彼」や、去年からスタートした福岡県行信寺「エンのエン」などが類似イベントとしてあります。いずれも、ミュージシャンへのこだわり、説法&読経入りというところで共通しています。メリシャカでも12月26日に京都でビッグイベントが催されます。(詳細はこうご期待!)

個々の相違点は、お寺の在り方と同様、本堂の大きさや地域性などそれぞれのやり方があって、うちの場合は、お寺で運営している児童劇団のOBが中心となってスタッフをやってくれているので、そこから出る意見を重要視しています。また、おばさまたちの団体「仏教婦人会」や「若婦人会」の方々にも接待やフード販売に参加してもらったり、門徒さんの地域代表者(総代)やご近所の方々への配慮にも気を使うよう心掛けています。メインのライブは、キャパ的に二百数十人を目標にしていて、なるべくジャンルの振り幅をもつようにもしています。お客さんは、もちろん、こどもからお年寄りまでどなたでもウェルカムですが、趣味的要素もあって20〜30代ぐらいの方が8割以上になります。男性より女性のほうが多くて、好奇心の強い人が集まっていると思います。というか、好奇心があまりない方はキツイイベントかもしれません。

お寺に若い人を集めるのがひとつの目的ではありますが、人が集まりさえすればいいわけではなくて、「何でもアリ」ではありません。ここがよく勘違いされるところで、お寺をただの場所貸しにするつもりはなくて、また、お寺でやる意味を感じないものはモチベーションの上げようがありません。
思考錯誤しながらではありますが、お寺ならではのライブを目指し、参加してくれた人たちの心に残るものを提供したくて、そこに仏教の深みをほんの一粒でも届けたいと思っています。ミュージシャンが一曲に想いのたけを込めるように、説法や読経にも計り知れない想いが込められています。坊さんは、あくまで仏の教えと聞き手のフィルターではありますが、同じ表現する立場としてステージに立ちます。幸いに、その想いは予想以上に届いている声が聞こえてきます。

イベントのアンケートから、いくつか紹介させてもらいます。

・目で耳で聞き、不思議な世界にひたり、心がなごみました。
・最後の読経まで一連のショウのようで楽しました。
・創造世界感と現実感のギャップがとてもおもしろかったと思う。
・最後の読経もよかった。みんな自然と正座になってたし。そうあるべきだよね、って感じました。
・様々な発見・感動・驚きなどがあり、とても楽しかったです。
・お寺座といっても単にお寺でライブのみかと思っていたが、お坊さんの説法もあり普段とは違う感覚でいれて良い。
・きよらかな想いでいっぱいです。
・説法や読経など工夫して入れておられ、お寺で行われる意味を深く感じられました。
・ライブの間に一口説法があり、というのははじめてで、聞けてよかったと思います。
・本堂と音楽がこんなにも合うなんて!!!素敵でした。
・お寺と音楽のコラボがここちよい空気をつくりだしていると思います。仏教を身近にかんじました。
・一口説法も初めてきいて、仏教について興味を持ちました。
・これからも毎年やってほしいです。最後のお経もとてもいい。
・お寺が身近に感じたイベントでした。
・音楽、説法&読経が不思議とマッチ。
・じいちゃん&ばあちゃん&子供とか普通にいるのが素敵でした。
・音楽、説法、読経。完全に素晴らしいコンセプトで成り立っています。
・音楽好きな人には法話もお経も「ライブ」として受け止められやすい気がしました。私たちは、お経や法話を聞くチャンネル自体を持っていませんので、こういう機会に聞かせていただけると、ほんとに「ありがたい」です。お経のときなんて、お坊さんが来られるとみんながざざざっと正座を始めて、「うわ、やっぱりみんなそうなんだなぁ」みたいな(笑)。すごく自然に、仏さまの話や声を聴いちゃうバックグラウンドって若い人のなかにもまだまだあるんだなぁと実感いたしました。


もちろん、肯定的な感想ばかりではなくて、「説教がイマイチ」、「お坊さんはもっと堂々とするべき」という叱咤激励があったり、去年は、「説法はいらない」という意見もありました。

「お坊さんはもっと堂々とするべき」

これはひじょーに嬉しい言葉です。
確かに、自信なさげな言葉は相手に不安を与えてしまいますね。

思うに、日本が西洋の文化を追いつけ追い越せと走り続けた時代に、お寺のイメージは「古い」とか「時代遅れ」として切り捨てられ、同時に、おじいちゃんやおばあちゃんも肩身がとっても狭くなりました。そのイメージをずっと引きずりながら、ようやくほとぼりが冷め始めた頃、「地下鉄サリン事件」や「宗教戦争」が起こり、「宗教って怖い」「怪しい」というイメージが加わりました。さらに、「坊主丸儲け」とか「偉そう」なんてイメージもあって、たまったものではありません。
そんな影響をモロに受けて、迫害されている気分のまま育ってしまったぼくは、信仰について語ることを恐れ、卑屈になりやすくて、いつもびびっています。


尊敬する先生が言われた、仏教徒の生き方をあらわした言葉を思い出します。

撤慢にもならず、卑屈にもならず、
遠慮もせず、気ままもせず、
おおらかに、しかし慎み深く生きようと心がける

はい。そのように心がけたいです。
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