この慈悲終始なし ~失恋に効く歎異抄~
- 2010年01月01日(金) 文:るる
- 仏声人語
- comments(2)
あけましておめでとうございます。
昨年は、メリシャカイベント、ライブに多数のご参加、本当にありがとうございました。
メリシャカは、このサイトにコラムを書いている人だけではなく、関係してくださった多くの方々によって支えられています。
このサイトがどうあるべきか、書く内容をどう続けていくかはずっと課題のままですが、皆様に読んでいただけるこのご縁をありがたく受け止めていきたいと思っております。
どうぞ、本年もメリシャカをよろしくお願いいたします。
さて、新年一回目。
気持ちを新たに、始めてまいります。
今年、私(るる)は、脱いい子キャラということで(笑)、やっていきたいと思います。
年末に、31歳になりまして、なんだかふと力が抜けたといいますか、私には余分なものがたくさんあるなぁというように思ったのです。
なので、今年一年間は、それらをそぎ落としていく作業を試みたいと思っています。
少々、イタイ話や自虐的な話もあると思いますが、どうぞお付き合いいただければ幸いです。
9年前のお話から始めます。
いつか、言葉にしたいと思い続け、その決意をするまでに9年もかかってしまいました。
文字にしてみれば、ただの青春時代のいち失恋エピソードなのですがね。
大学の4年間、ほとんどずっと付き合っていた彼氏がいまして。
そういうカップルが、たいてい必ず直面するのは、進路を考える時期です。
私たちもご多分にもれず、自分は何がしたいのか、何をするべきか、と考えた時期でした。
彼は、親鸞聖人にも興味があって、お寺にはいってもいい、とまで言ってくれていました。
私は、佐賀の実家に帰ろうかと思っていましたので、すぐに結婚というわけにもいかないのだから、せめて隣県の福岡に来てくれたら、と思い、そのように動いていたのです。
有名企業の最終面接、「全国に転勤できますか?」と聞かれ、彼は「できません」と答えました。その結果、有名企業から内定通知が来ることはなく、彼の手元には、福岡の小さな企業の内定が残りました。
私は、うれしかった。
私のために、そこまで…ってやつです。
でも、彼の本音は違ったのですね。
本当は、有名企業で全国を飛び回り、わくわくするような仕事がしたかった。
あの面接で、もちろん転勤も厭いません、と答えていたら、自分にはもっと広い未来があったかもしれない。
きっと、そう思ったんだと思います。
だけど、そういう落胆の気持ちを私に見せることはなく、日々は過ぎていき…
冬のある日、私は彼に話がある、と切りだされました。
「どうも調子が悪くて、学校に行けない。
このままじゃ、卒業できない…
実は、病院に行ったら、うつ状態だと言われたんだ」
9年前、私には少しの知識しかありませんでした。
うつ病は、心の弱い人がなるものだと思っていました。
彼が、そうなるなんて、これっぽっちも思っていなかった。
私の彼氏がそうなるなんて、信じられなかった。
だから…いろいろ勉強もしたし、一緒に病院にも行ってみたし、信頼できる人に相談もしたけれど…
最終的には、私は彼から逃げ出してしまいました。
おそらく、私が原因だったのに。
私との未来と、自分の可能性を天秤にかけさせたのは、私だったのに。
それを直視できずに、私はそこから、逃げ出したのです。
だけど、そんな自分が嫌で嫌でたまりませんでした。
彼のところにも戻れない。でも、そういう自分を持て余している。
何かしてあげたい、彼の力になりたい。
でも、どうすればいいのかわからない。
いや、結局は自分の保身のために、あんなに大事だった彼を切り捨てようとしている自分。
なんとあさましい。
でも、どうにもできない。
そういう私の思いは、彼に伝わったのでしょう。
別れを切り出したのは、彼のほうからでした。
結局、私がそう言わせたようなものです。
心のどこかで、ほっとしている自分がいました。
それにまた、言いようのないあさましさを感じるのです。
私は、なんて自分勝手で、なんて卑怯な。
一度、自分の中のそういう感情に気が付いてしまえば、それを忘れることなどできません。
うしろめたい気持ち。
仕方がなかったのだと開き直りたい気持ち。
まだ、好きだという気持ち。
謝っても謝りきれない罪悪感。
でも、どうしようもないのだ、と叫びだしたい衝動。
自分の中に、どうにも処理できない葛藤があって、苦しくて仕方がなかった。
相手の苦しみを斟酌することも忘れ、私はただ自分が苦しいことにかまけていたのです。
そんな私の目に飛び込んできた言葉があります。
慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。
聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。
しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。
浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもつて、
おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。
今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと云々。
<現代語訳>
慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります。
聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、はぐくむことですが、
しかし思いのままに救いとげることは、きわめて難しいことです。
一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに仏となり、その大いなる慈悲の心で、
思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。
この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、
思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。
ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。
このように聖人は仰せになりました。
歎異抄、第四章です。
赦された、気がしました。
いや、私の罪を赦されたわけではありません。
でも、私には、今の私のための言葉が750年前にすでに用意されていたのだ、と思いました。
私には、こう聞こえたのです。
君が彼のことをなんとかしたいと思っても、やりとおすことはできないのだ。
君が持つ影響力など、たかがしれている。
君にできることは限られている。
どんなに好きでも、どんなに愛おしく思っても…
仕方がなかったのだ、君は悪くない、ということはできないが、
人には自分の力では、どうしようもないことがある。
その思いを抱えたまま生きていくしか、ないのである。
私は750年の昔からたった今の、君の心に届くよう、そういう君と共にあるよう、
この教えを伝えてきたのだ。
だから、そのまま、私のところへ来なさい。
お念仏を申して生きていく道を、歩みなさい。
テキストを読みながら号泣しました。
この言葉に出遇うために、今までの経験があったのか、と思うくらいの衝撃でした。
…こののち、私は中央仏教学院に入学し、僧侶となります。
この経験と出遇いが、新しい私の始まりでした。
今思えば、これすらも自分勝手な解釈かもしれませんがね。苦笑。
さて、私にとっての出発点であり、青春時代の苦い思い出であり、心の古傷であるこの経験は、9年かかってやっと言葉になりました。
失恋をした人にも、歎異抄は効きます。
それだけは、自信を持ってお伝えできるような気がします。はい。
新年早々の長文、失礼しました。
そういうカップルが、たいてい必ず直面するのは、進路を考える時期です。
私たちもご多分にもれず、自分は何がしたいのか、何をするべきか、と考えた時期でした。
彼は、親鸞聖人にも興味があって、お寺にはいってもいい、とまで言ってくれていました。
私は、佐賀の実家に帰ろうかと思っていましたので、すぐに結婚というわけにもいかないのだから、せめて隣県の福岡に来てくれたら、と思い、そのように動いていたのです。
有名企業の最終面接、「全国に転勤できますか?」と聞かれ、彼は「できません」と答えました。その結果、有名企業から内定通知が来ることはなく、彼の手元には、福岡の小さな企業の内定が残りました。
私は、うれしかった。
私のために、そこまで…ってやつです。
でも、彼の本音は違ったのですね。
本当は、有名企業で全国を飛び回り、わくわくするような仕事がしたかった。
あの面接で、もちろん転勤も厭いません、と答えていたら、自分にはもっと広い未来があったかもしれない。
きっと、そう思ったんだと思います。
だけど、そういう落胆の気持ちを私に見せることはなく、日々は過ぎていき…
冬のある日、私は彼に話がある、と切りだされました。
「どうも調子が悪くて、学校に行けない。
このままじゃ、卒業できない…
実は、病院に行ったら、うつ状態だと言われたんだ」
9年前、私には少しの知識しかありませんでした。
うつ病は、心の弱い人がなるものだと思っていました。
彼が、そうなるなんて、これっぽっちも思っていなかった。
私の彼氏がそうなるなんて、信じられなかった。
だから…いろいろ勉強もしたし、一緒に病院にも行ってみたし、信頼できる人に相談もしたけれど…
最終的には、私は彼から逃げ出してしまいました。
おそらく、私が原因だったのに。
私との未来と、自分の可能性を天秤にかけさせたのは、私だったのに。
それを直視できずに、私はそこから、逃げ出したのです。
だけど、そんな自分が嫌で嫌でたまりませんでした。
彼のところにも戻れない。でも、そういう自分を持て余している。
何かしてあげたい、彼の力になりたい。
でも、どうすればいいのかわからない。
いや、結局は自分の保身のために、あんなに大事だった彼を切り捨てようとしている自分。
なんとあさましい。
でも、どうにもできない。
そういう私の思いは、彼に伝わったのでしょう。
別れを切り出したのは、彼のほうからでした。
結局、私がそう言わせたようなものです。
心のどこかで、ほっとしている自分がいました。
それにまた、言いようのないあさましさを感じるのです。
私は、なんて自分勝手で、なんて卑怯な。
一度、自分の中のそういう感情に気が付いてしまえば、それを忘れることなどできません。
うしろめたい気持ち。
仕方がなかったのだと開き直りたい気持ち。
まだ、好きだという気持ち。
謝っても謝りきれない罪悪感。
でも、どうしようもないのだ、と叫びだしたい衝動。
自分の中に、どうにも処理できない葛藤があって、苦しくて仕方がなかった。
相手の苦しみを斟酌することも忘れ、私はただ自分が苦しいことにかまけていたのです。
そんな私の目に飛び込んできた言葉があります。
慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。
聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。
しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。
浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもつて、
おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。
今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと云々。
<現代語訳>
慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります。
聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、はぐくむことですが、
しかし思いのままに救いとげることは、きわめて難しいことです。
一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに仏となり、その大いなる慈悲の心で、
思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。
この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、
思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。
ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。
このように聖人は仰せになりました。
歎異抄、第四章です。
赦された、気がしました。
いや、私の罪を赦されたわけではありません。
でも、私には、今の私のための言葉が750年前にすでに用意されていたのだ、と思いました。
私には、こう聞こえたのです。
君が彼のことをなんとかしたいと思っても、やりとおすことはできないのだ。
君が持つ影響力など、たかがしれている。
君にできることは限られている。
どんなに好きでも、どんなに愛おしく思っても…
仕方がなかったのだ、君は悪くない、ということはできないが、
人には自分の力では、どうしようもないことがある。
その思いを抱えたまま生きていくしか、ないのである。
私は750年の昔からたった今の、君の心に届くよう、そういう君と共にあるよう、
この教えを伝えてきたのだ。
だから、そのまま、私のところへ来なさい。
お念仏を申して生きていく道を、歩みなさい。
テキストを読みながら号泣しました。
この言葉に出遇うために、今までの経験があったのか、と思うくらいの衝撃でした。
…こののち、私は中央仏教学院に入学し、僧侶となります。
この経験と出遇いが、新しい私の始まりでした。
今思えば、これすらも自分勝手な解釈かもしれませんがね。苦笑。
さて、私にとっての出発点であり、青春時代の苦い思い出であり、心の古傷であるこの経験は、9年かかってやっと言葉になりました。
失恋をした人にも、歎異抄は効きます。
それだけは、自信を持ってお伝えできるような気がします。はい。
新年早々の長文、失礼しました。
コメント
心に沁みます
- とも
- 2010/01/02 9:01 PM
ともさん
コメントありがとうございます。
とても恥ずかしい記事で恐縮ですが、転機ってあるものですね。
コメントありがとうございます。
とても恥ずかしい記事で恐縮ですが、転機ってあるものですね。
- るる
- 2010/01/05 1:55 PM





