無明の闇

sakullaの出産記録・エピソード8

未熟児網膜症の発症が断定されたのは、人工呼吸器が取れた生後52日目だった。
その人工呼吸器も、夜中に首を振った弾みで外れてしまっていたらしく、NICUは一時騒然としたらしい。
だが、様子を見ると自発呼吸ができていたため、付け直す必要がなかったのだそうだ。
私も外すには、もうしばらく時間が掛かると説明を受け落胆していた翌日のことだったので、ダンナと手を叩いて喜んだのだが…もし自発呼吸ができていなかったらと考えると背筋が寒くなる一件だった。

 
さて、未熟児網膜症の進行には五つのステージがある。
「ステージ1」「ステージ2」は新生血管の増殖は見られるものの、自然に治るケースもある。
「ステージ3」は、自然に治るか、網膜剥離を引き起こすかの分岐点で、レーザー治療をするかどうか判断する目安となる段階。 
網膜の一部がはがれた状態が「ステージ4」。
さらに進んだ「ステージ5」では網膜が完全に剥離し、失明の危険性が高まる。 
また、急激に進行するタイプもあり、注意深い観察が必要な病気である。

息子はステージ3の段階だったが、自然治癒は困難と判断され、レーザーで新生血管を焼いて増殖を抑える治療をすることになった。
45分程度の治療と言われたが、1時間半かかった。
麻酔なしで、目を見開いた状態で固定され、両目にレーザーを数百発も当てられる。
悲鳴にも似た我が子の泣き声を、廊下でずっと聞き続けるのは拷問以外の何ものでもなかった。

永遠とも思われた時間が過ぎ、眼科医が廊下に出てきて、私たちを中へと促した。
泣き疲れて放心していた息子の瞳は腫れ上がった目蓋に隠れ、隙間から充血した白目が少しだけ見えた。
医師からは、怪しい血管はすべて焼いてしまったので、あとは新生血管が再び伸びてこないかと、新しい血管がきちんと伸びていくかを観察していく必要があると告げられる。
高い確率で近視・弱視・斜視になるが、矯正は可能との説明に、今は無事に終わったことを喜ぶことにした。

私はこの病気に関わるまで、目が見えない状態を「失明」というのだと思っていた。
だが、医師に息子の目が失明してしまう可能性の有無を尋ねた際、「レーザーが効かなくても様々な治療があるから失明までするのは稀であり、最悪でも光の明暗くらいは感知できるでしょう」と言われ、「それが失明ではないのか?」と首を傾げてしまった記憶がある。
もっとも、冷静に字を考えれば「明かりを失う」で失明だ。
つまりは私の人生で、「失明」について冷静に考える機会などなかったわけで、勝手に思い込んでいたということになる。

真実を真実として見ることも、受け止めることもできない状態を「無明」という。
それは「智慧がない」ということ。
自分の価値判断で勝手に思い込むことも、そういう状態。
思い込みの一因は、目に見えるものだけを確かなものだと信じるところにあるのだろう。
目に見えるものが必ずしも真実ではなく、目に見えなくても信じられるものはある。
だが、その道理が目の見えることによって、見失われてしまうこともある。
たとえ、この目に光が見え、相手の姿が見えたとしても、そこに映るものが真実だとは限らない。
なぜなら、すべては「私」というフィルターを通して、価値判断がなされた末に映しだされた世界だから。
だからこそ思い込み、真実を見失う。

光溢れる世界に生きるがゆえの無明。

明かりがなければ迷って当然。
無明の闇に安住すれば、迷っていることにも気付けない。
その闇を、智慧の光で破るのが仏の教え。

智慧の光は、いつも自分のどうしようもない本性を照らし出す。
そこには、無明であることに慣れ、失明という現実を他人事と素通りしてきた自分がいた。
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