生を叫ぶ声
- 2010年04月17日(土) 文:sakulla
- 仏声人語
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生まれる苦しみには、生む苦しみが必ずある。
お釈迦さまには、母親の右脇から生まれたという伝承がある。
それをある仏教者が、あれは帝王切開だったんだと言っていたけど。
普通はインドの神話がもとにあると考えられていることだ。
世界の始めに存在する原人・プルシャ。
千の頭、千の目、千の足を持ち、その体から全ての世界が創造された。
神も人もプルシャから生まれた。
口からはバラモン(祭司)、両腕からはクシャトリヤ(王族)、両腿からはヴァイシャ(庶民)、両足からはシュードラ(奴隷)が生まれたという神話。
母親の右脇から生まれたという伝承は、お釈迦さまが王の子であることを表す。
けど、その母親も7日後に亡くなっていることから、命を懸けた出産だったことは否定しない。
生老病死という四苦のうち、「生」はこの思い通りにならない苦しみの世界に、「生まれる苦しみ」を意味する。
その「生まれる苦しみ」は、同時に母親の「生む苦しみ」が伴っているということを、母となって初めて実感した。
私だけじゃなく全ての人が、母親の命懸けの苦しみから生まれたんだということを…。
そのことを、いつも心に懸けていれば、命の大切さなんて、わざわざ説かずとも、自然に大切に思えるような気がするのだが…現実は理屈では割り切れないし、そう単純なことではないようだ。
生まれてすぐ七歩歩いたお釈迦さま。
「天上天下唯我独尊」と渋い産声をあげたけど、予定日より早く産まれた私の息子は産声をあげる力も無いままに、保育器の中へと運ばれた。
分娩室に響いたのは、私と旦那の泣き声だけ。
この苦の世界に生まれたことを、泣かずに受け止めた我が子は、1歳7ヶ月にしてようやく七歩以上歩けるようになった。
上と下を指差すことはできる。
次は命の尊さを説く言葉じゃなくていい…どうか私を呼んでくれ。





