「母賛歌」母の日に想う
- 2010年05月09日(日) 文:チスイ
- 仏声人語
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一億の人に一億の母あれど
わが母にまさる 母あらめやも
(暁烏 敏−あけがらす はや)
今日は母の日だったので、ささやかながら母にプレゼントをした。生まれて7ヵ月になる娘の写真を加工した携帯ストラップだ。今日お会いした方は、3人の娘からハワイ旅行をプレゼントされたと言っていたので、それに比べたら本当に微々たるものだが、母はとても喜んでくれた。
メリシャカでもるるさん、sakullaさんのコラムを読むと、「母」というものの凄さを感じる。僕も連れ合いを通して娘を我が体の一部のように見る親心を感じることがある。正直僕にはかなわないです。
わが母にまさる 母あらめやも
(暁烏 敏−あけがらす はや)
今日は母の日だったので、ささやかながら母にプレゼントをした。生まれて7ヵ月になる娘の写真を加工した携帯ストラップだ。今日お会いした方は、3人の娘からハワイ旅行をプレゼントされたと言っていたので、それに比べたら本当に微々たるものだが、母はとても喜んでくれた。
メリシャカでもるるさん、sakullaさんのコラムを読むと、「母」というものの凄さを感じる。僕も連れ合いを通して娘を我が体の一部のように見る親心を感じることがある。正直僕にはかなわないです。
僕は仏教の、そして浄土真宗の「法話」をしたり、お聴聞する機会が多い。
その中で、やはり法話の要は「親心」であると感じる。
「親心」とは言っても、僕たち人間の親の次元の話ではなく、仏さまの「慈悲」の心のことだ。
「慈」とはインドの言葉でマイトリーと言い、「最高の友情」のこと。父親の子に対する励ましの思いとも言われる。
「悲」とは、カルナーと言い、「呻き」であると言われる。母親のどこまでも子と痛みを共にする心だ。
母とは、子の痛みや、悲しみを他人事とはしておけず、呻かずにはおられない存在なのだろうと思う。
人間の親には限界がある。しかしだからこそ、仏さまの「慈悲」の心を仰ぎ、その心を聞いていかねばならないのだろう。
ところで、4月から僕は西本願寺の勤めが終わり、連れ合いと娘とで親子3人の新生活が始まったわけだが、娘は当分僕を親とは認識してなかった。元来の不器用さで、娘の気持ちが分からず泣かれたり、またお風呂に入れても娘に少々冷たい水をかけて大泣きをされたり、本当に申し訳ないことをしてしまいました。(その後しばらく、娘はお風呂嫌いになった。今は、連れ合いが入れてリハビリ中・・・娘よ、ゴメンネ。)
そんな僕に、連れ合いのお母さんからメールが届いた。文面はこうだった。
「皆、最初は新米のパパさん、ママさんなんです。子どもと同じぶんだけ泣いて、本当の親になれるような気がします。二人協力して、がんばってね!」
メールに本当に励まされました。初めから「親」になれる訳ないのだと知らされました。
連れ合いの母は、親になる苦労と言うのを教えてくれたのだと思います。常に試行錯誤して、それでも失敗して失敗して、子どもと共に涙を流しつつ、親とならせて頂くのです。
また、同時に、自分が今あるのはどれくらい親に涙を流させてきたのだろうか思いました。
いや、涙どころではない、声にならない「呻き」を洩らせていただろうか。
そんなこと、考えたこともなかったのですが、素直に頭が下がります。
すべてのお母さんと、そのことに気づかせてくれた母なる存在「仏さまのお慈悲」に手を合わせます。南無阿弥陀仏。
「母賛歌」ぐっとくる歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=wc-84-qSr6Y
その中で、やはり法話の要は「親心」であると感じる。
「親心」とは言っても、僕たち人間の親の次元の話ではなく、仏さまの「慈悲」の心のことだ。
「慈」とはインドの言葉でマイトリーと言い、「最高の友情」のこと。父親の子に対する励ましの思いとも言われる。
「悲」とは、カルナーと言い、「呻き」であると言われる。母親のどこまでも子と痛みを共にする心だ。
母とは、子の痛みや、悲しみを他人事とはしておけず、呻かずにはおられない存在なのだろうと思う。
人間の親には限界がある。しかしだからこそ、仏さまの「慈悲」の心を仰ぎ、その心を聞いていかねばならないのだろう。
ところで、4月から僕は西本願寺の勤めが終わり、連れ合いと娘とで親子3人の新生活が始まったわけだが、娘は当分僕を親とは認識してなかった。元来の不器用さで、娘の気持ちが分からず泣かれたり、またお風呂に入れても娘に少々冷たい水をかけて大泣きをされたり、本当に申し訳ないことをしてしまいました。(その後しばらく、娘はお風呂嫌いになった。今は、連れ合いが入れてリハビリ中・・・娘よ、ゴメンネ。)
そんな僕に、連れ合いのお母さんからメールが届いた。文面はこうだった。
「皆、最初は新米のパパさん、ママさんなんです。子どもと同じぶんだけ泣いて、本当の親になれるような気がします。二人協力して、がんばってね!」
メールに本当に励まされました。初めから「親」になれる訳ないのだと知らされました。
連れ合いの母は、親になる苦労と言うのを教えてくれたのだと思います。常に試行錯誤して、それでも失敗して失敗して、子どもと共に涙を流しつつ、親とならせて頂くのです。
また、同時に、自分が今あるのはどれくらい親に涙を流させてきたのだろうか思いました。
いや、涙どころではない、声にならない「呻き」を洩らせていただろうか。
そんなこと、考えたこともなかったのですが、素直に頭が下がります。
すべてのお母さんと、そのことに気づかせてくれた母なる存在「仏さまのお慈悲」に手を合わせます。南無阿弥陀仏。
「母賛歌」ぐっとくる歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=wc-84-qSr6Y
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