不妊治療と仏教 その2

 前回のコラムで、不妊治療について書きましたが、その続き。

「お不妊様」ってことば、知っていますか?
あんまり、気持ちのいい言葉では決してありません。
例のエリカ様(沢尻エリカ)からきたんだと思う。

不妊治療をしていること、子どもに恵まれないことを不幸と思い、逆ギレして他人を攻撃するひと、または不快にさせる人のことを、そう呼ぶんだそうです。

つまり、「どうして私だけこんなに辛いのに、みんな気遣ってくれないの?他人の妊娠が許せない、子どもの顔の年賀状なんて見たくもない、妊婦が憎い…」って言っちゃったり、態度に出しちゃったりする、ってことです。

確かに、不妊治療はなかなか理解されにくいです。
世間話で「子どもは?」と聞かれて傷つくこともあります。
もっと下世話で一方的に不愉快な言葉を投げつけられることも、確かにあります。

できちゃった婚が普通に認められるようになってきた昨今、結婚するといえば即妊娠してるのか、と聞かれたりする。
つまり、結婚したら子どもができるのが当然っていう認識があるんですね。
だから、他愛ない言葉にも傷つく。

でも、だからと言って、他人に自分を気遣え、と要求することは間違ってますよね。
前回のコラム、私はちょっとナーバスになっている時期でもあり、「お不妊様」だったんだよなぁ。

些細なことで腹を立て、気遣ってくれない状況を愚痴り、勝手に傷ついて。


聖徳太子が仏教の本質を言い表し、国の在り方を説いた一七条の憲法にこんな言葉があります。

「十に曰く、心のいかり(忿)を絶ち、おもてのいかり(瞋)を捨てて、人の違うことを怒らざれ。
人みな心あり。
心おのおの執るところあり。
かれ是とすれば、われ非とす。
われかならずしも聖にあらず。
かれかならずしも愚にあらず。
ともにこれ凡夫のみ。
是非の理、たれかよく定むべけんや。
あいともに賢遇なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきごとし。
ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。
われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え」


現代語訳で一番しっくりきたもの。
「自分の意見が人と違っても、心の奥のいかりが顔に出てしまうようないかりもすてて、怒っていてはいけない。
人間は皆、心をもっている。
人間の思いは人それぞれ違うのである。
相手が「よい」と思ったことでも自分にとっては「だめ、いらざること」だということがある。
自分の考えがいつも正しいとは限らない。
相手の考えが愚かだとは限らない。
皆同じ凡夫(平凡な人)である。
そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。
おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。
それは耳輪には端がないようなものだ。
大事なのは相手のことを責めるより、まず自分自身に落ち度やあやまちがなかったかどうか反省すべきである。
自分が得たものは、多くの人に対しても行うべきことである。」


私がよかれと思ってやったことが、他人を傷つけてることがある。
他人がよかれと思ってしてくれたことに、傷つく私がいる。

つい、自分のほうが正当であるとか、正しいとか、普通だとか思いがちだけど、
だけど、どちらも間違ってない。
ともに、それが人間なのだ。

だから、そう怒るな。嘆くな。
他人を責めるより、まずは怒ってる自分を、嘆いている自分を見つめなさい。
なぜ、怒っているのか、なぜ嘆くのか。
ああ、自分の思い通りにならないから、怒るし嘆くのだ。
それが、煩悩の根源だ。

思い通りになるわけがないのが、人生だ。
なら、他人を怒って嘆いても、仕方がないじゃないか。

次に自分が同じような立場になったとき、他人を傷つけないようにできたら、それにこしたことはない。 その勉強をしたと思えばいい。

人それぞれ、自分の人生を生きている。
それでいいし、それしかない。

そんな風に言われた気がします。
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