誤るという前提
スペインの優勝で幕を閉じたサッカーワールドカップ。
日本代表の予期せぬ善戦に、列島が熱狂したことは記憶に新しいことだろう。
今大会で印象に残る場面はいくつかあるが、中でもイングランド対ドイツの試合中に起こった【疑惑のゴール】については考えさせられるものがあった。
イングランドの選手が放ったシュートがゴールポストに当たり、ゴールライン内にバウンドしたことで得点が入り、同点となるはずだった。
だが、それを見ていたはずの副審がノーゴールと判断したため加点がされず、結局イングランドはその後も点を取ることができず、4対1で敗退。
この判定について、すでにFIFAの会長が誤審だったことを認め謝罪しているが、このような誤審は今回が初めてだったわけではない。
なのに、映像による確認がなされない要因の一つに、サッカーはその長い歴史の中で、【誤審はある】という前提で行われてきたスポーツだったからだという解説があった。
人間が下す審判が、完璧ではないということを踏まえた上で成立したスポーツ。
間違ってはいけない。
けど間違うこともある。
それでもその間違いに立ち止まらず、振り切るようにゴールへと踏み出す選手たちの姿に、自身の間違いを棚に上げ、相手の間違いばかりを責めている、都合の良い自分の姿が見えてきたような気がした。
【誤審はある】という前提は寛大なようでもあるが、自分が常に正しいわけではないということの前提でもあるということだ。
肝に銘じておかなければ…。
だが、それを見ていたはずの副審がノーゴールと判断したため加点がされず、結局イングランドはその後も点を取ることができず、4対1で敗退。
この判定について、すでにFIFAの会長が誤審だったことを認め謝罪しているが、このような誤審は今回が初めてだったわけではない。
なのに、映像による確認がなされない要因の一つに、サッカーはその長い歴史の中で、【誤審はある】という前提で行われてきたスポーツだったからだという解説があった。
人間が下す審判が、完璧ではないということを踏まえた上で成立したスポーツ。
間違ってはいけない。
けど間違うこともある。
それでもその間違いに立ち止まらず、振り切るようにゴールへと踏み出す選手たちの姿に、自身の間違いを棚に上げ、相手の間違いばかりを責めている、都合の良い自分の姿が見えてきたような気がした。
【誤審はある】という前提は寛大なようでもあるが、自分が常に正しいわけではないということの前提でもあるということだ。
肝に銘じておかなければ…。





