愛情サイズ


最近、息子が物をよく投げるようになった。

積み木だったり、本だったり、オモチャ箱だったり、スプーンだったり。
思い通りにならなかった時や、退屈でかまって欲しい時にする行動。
自己主張ができるようになったんだと喜ぶ反面、当たると痛い。
人に向けて投げた時は、手を握って「ダメよ」と注意することが大切とのこと。
それをきちんとしていかないと、小学生になったくらいの時にエスカレートした問題行動をとるようになってしまうと保健師さんに忠告された。


スーパーなどの商業施設で、よく幼い子が大きな声を上げて叫んでいる光景を目にする。
随分前のことだが、そういう行動をとる子供は親の愛情が足りないというような話を聞く。
それ以来、私は叫んでいる子供を見ると、この子は愛情が足りていないんだという目で見るようになっていた。

けれど、自分が子供を授かり、視界が一変する。
物を投げたり、叫んだり、それは発達の1ステップ。
愛情が足りていようがいまいが、自分の気に食わないことがあれば叫ぶのが子供。
親の愛情の形が、子供の望むものではなかったから叫ぶこともあるだろう。
叫ぶという行為をもって、一概に「愛情が足りない子供」というレッテルを貼るのは、ただの偏見でしかないということに気付かされた。

大事なのは、叫んだ後に親がどう子供と向き合うかということ。
そして、愛情の重さを量るのは、通りすがりに迷惑そうに眉をひそめている人ではないということだ。

子供が傍にいることで、見えてくる世界は変わってくる。
それは今まで見えていなかったことが、これほどにまであったのかと驚嘆するほどに。
だからこそ、こちらの気持ちを分かってほしいと思ってしまう。
幼い子供を抱えるということがどういうことなのか、理解して欲しいと思ってしまう。
同じ変化を相手にも望んでしまう。

でもそれは、ちょっと傲慢な考え方なのかも。
自分が変わったんだから、相手にも変わってもらいたい。
でも、その逆は?
誰も私のことを分かってくれない。
でも、その逆は?

私はいったい誰を理解し、変わろうとしただろうか?

子供を授かるという、私にはコペルニクス的転回があって、初めて気付かせていただいた数々のことを、理解して欲しいと相手に期待することは、とても酷なことだ。
逆に期待されることも荷が重い。

だからこそ、相手に期待するのではなく、まず【自分】が【相手】を【思い量る】ということを大切にしていかなくてはならないんだなと、息子の攻撃によって痛めた足を擦りつつ思う、今日この頃…。

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