普段、射す光

 先日テレビのクイズ番組を見ていると、斎藤孝さんが興味深いことを仰っていました。
私たちが使っている言葉は、読み方で漢字の当て字が意外と多いそうです。

「普段」という漢字も実は当て字で、昔は「フダン」という言葉は別の意味ある漢字で書かれていたそうです。

皆さんは答えが分かりますか?

ちなみに私は「蒲団」と書くのではないか?と思いました。が、結果不正解。
正解は・・・
 「不断」と書くそうです。

確かに「不断」とは、絶え間なく、常にという意味です。
なるほどな〜と妙に納得してしまったのは私だけでしょうか。

ところで、阿弥陀如来の放つ光明は智慧のはたらきをあらわしてあり、その光のはたらきには、十二の徳があると言われています。

1.無量光(むりょうこう)。量ることのできない光。
2.無辺光。際限のない光。
3.無碍光(むげこう)。なにものにもさえぎられることのない光。
4.無対光。くらべるもののない光。
5.炎王光(えんのうこう)。最高の輝きをもつ光。
6.清浄光(しょうじょうこう)。衆生のむさぼりを除くきよらかな光。
7.歓喜光(かんぎこう)。衆生のいかりを除きよろこびを与える光。
8.智慧光。衆生のまどいを除き、智慧を与える光。
9.不断光。常に照らす光。
10.難思光(なんじこう)。おもいはかることができない光。
11.無称光。説き尽くすことができず、言葉もおよばない光。
12.超日月光(ちょうにちがっこう)。日月に超えすぐれた光。

9つ目に不断光がありますね。阿弥陀様の光は、瞬く間も休まずに照らしていて下さることが表わされています。

昨年のメリシャカLIVEとメリシャカナイツにご参加下さった方が、「光は日常のどこにでもある。私が見ようとしていなかっただけ」と感想を言って下さいました。

普段、何気なく過ごしている日常にも絶え間なく照らされる光があったんだなぁ。
自分が頑張っている時だけではなく、頑張れない時にも。
仏教のことを思っている時だけでなく、思わない時にも。
寝ている時にも。病の時にも。格好つかない時にも。邪な想いを抱く時でさえ。

またたくまも休まずに照らし続ける光があることを思う時、なんとも言えない支えの中にあるような、気付きをいっぱい頂けるような、あったかい気持ちになることです。

なんだかポエムのようになったなぁ。


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