免疫のおはなし。

 月に一冊、指定された本を読んで感想を書いて、5人に送り、
ほかの人が書いた感想を読んでそれに対するコメントを書いてまた送りあう、
という活動をしています。
参加者はいずれも、メリシャカメンバーのような若手僧侶6人です。

先月の指定図書は、『免疫の意味論』多田富雄著(青土社)でした。
実は、その前の指定図書が『生物と無生物の間』という本で、理系書が続いています。

僧侶が生物学や免疫学の本を読んで、仏道の役に立つのかなぁ?と思っていたのですが、
もう、目からうろこの連続で、仏教の奥の深さや真実といったことに深く共鳴した次第です。

この本は、「自己」とは何か。「非自己」とどう区別されるのか、ということを考えた本です。
まず第一に、自己を規定しているのが、脳ではなくて免疫系である、という事実にひどく新鮮な驚きを覚えました。
脳で考え、脳で判断しているって、なんとなく思っているけれど、自分と異物とを区別しているのは、脳ではないのだそうです。
考えてみたら、確かに。
いくら頭を使っても、病気になる時はなるし、年もとります。

しかも、この免疫系は、10代をピークに迎えたのちは衰えるばかりである胸腺という臓器に由来するものであるということも、知りませんでした。
リードボーをいう臓器なんだそうで、グルメの人は知っている、らしいです。

そして、この免疫システムが実は、「研究が進むにつれ分かってくる、曖昧さと冗長さに特徴づけられる分子群によって運営される混沌の王国である」と表現されています。
いのちをつかさどるシステムは、動的システムによって複雑に機能し合い、はっきりと解明して説明がつくようなものではないらしいのです。

免疫学の最先端をもってしても、「自己」は規定できないのだそうです。

免疫学的「自己」というものが存在しているわけではなく、「自己」は免疫系の行動様式によって規定される。そうすると、「自己」というのは「自己」の行為そのものであって、「自己」という固定したものではないことになる。

ここを読んで、ああやっぱりなぁと思いました。仏教は初めから、そう言っているじゃないか。

「自己」と「非自己」は互いに曖昧につながっていて、にも関わらず「自己」の同一性は、その時々で保たれている。その「自己」も時とともに変貌する。行為の集合としての「自己」。その行為を規定しているのは、内的および外的環境のみである。

これもまさに仏教の教え。縁起の法そのもの。
うーん、やっぱり仏教はすごい。
幼稚な表現で申し訳ないのですが、一番シンプルにそう思ったのでした。

お釈迦様、きっと免疫の知識なんかなかったでしょう。
でも、その教えが普遍の真理であるってことを、科学の最先端が証明している…ような気がしたのでした。
門外漢の私の解説では、信頼がないと思うので、ぜひホンモノをお読みください。
Tweet
コメント








   
TWITTER+SHAKAMUSIC
チケット予約はこちら
新しい記事
月別アーカイブス
エディター
とし
twitter メリシャカサイト用mixiロゴ.gif メリシャカサイト用facebookロゴ.gif

お問い合わせ
メルアド.gif