車輪の唄
- 2011年03月09日(水) 文:チスイ
- 仏声人語
- comments(2)
私がお世話になっている先輩僧侶は大の飛行機好き。
好きが高じて、自分の仏教についての解釈も「飛行機」に譬えてのものが多くて、時々大変興味深いことをおっしゃるのですが、先日私にこんなことを聞いてきました。
「チスイ君、飛行機で一番大切な部分はどこだと思う?」
好きが高じて、自分の仏教についての解釈も「飛行機」に譬えてのものが多くて、時々大変興味深いことをおっしゃるのですが、先日私にこんなことを聞いてきました。
「チスイ君、飛行機で一番大切な部分はどこだと思う?」
皆さんはどうお考えでしょうか?
私は飛行機と言えば、やはり両翼だ。両翼なくして飛行機とは言えないと思いまして、先輩にそう答えますと先輩は「いいや」と首を横に振ります。
次に思ったのがエンジンです。あの巨大な鉄の塊を飛ばすのには強力なエンジンが不可欠!と答えたのですが、先輩の答えは「NO!」でした。
ううむ。コクピットかしら?と思って答えようとすると、先輩は先にこう言われました。
「飛行機で一番大事な部分は色々ある。だけど僕は、車輪が一番大事だと思うよ」と。
それはなぜか?先輩いわく、車輪がなければ飛行機はまず飛び立つことが出来ない、と。確かに。
どんなに立派な両翼があっても、強力なエンジンを積んでいても、車輪がなければ飛び立てません。
飛行機が大空に飛び立つことが出来るのは、機体を足元から支え、滑走路を転がる車輪があってこそです。
そして、空中を飛んでいる時に車輪は一見必要ないものと見えるかもしれません。しかしそれは違うと先輩は言うのです。飛んでいる時こそ、車輪が必要だ、と。
それは「飛び立った飛行機は必ず着陸するから」だそうです。これまたごもっとも。
「車輪のない飛行機なんて乗りたいとも思わないよ」と言いきる先輩が頼もしく、なぜか格好良く思えてきました。
どんな飛行機は飛べば、いつか必ず着陸するのです。その時車輪がなければ飛行機は壊れ命の保証はありません。安全に着陸するためには、飛んでいる時に車輪が絶対に必要です。(当り前と言えば当たり前ですが、有難いこととも言えると思います)
ここで僕はふとこう思いました。ここで言う車輪って「宗教」や「仏教」の譬えなのではないか?と。
人生の助走の時期である子どもの頃や思春期や青年期、大きな自分自身の大きな壁にぶち当たることが多々あります。しかし以前メリシャカにも書いたことですが、そんな時僕自身、仏教の見方・考え方に救われたなぁと感じたことがあります。
これが飛行機が飛び立つときと言えないだろうか?自分の足元から支えてくれていることに気付かされた喜びがあります。
そして、大空を飛んでいる時、つまり大人になり、社会の中で生活している時に、「宗教」「仏教」は一見必要ないと思われるかもしれません。しかしそのような時でも車輪は飛行機の足元にピッタリと離れないように、「宗教」「仏教」は私を見えないところから支え、包み込んでいるのです。
飛行機は、飛んでいると色々な出来事に遭います。乱気流に飲み込まれ、左右上下に揺れたりします。そして、飛行機は必ず着陸の瞬間にあうのです。
一生にも思いもよらない出来事がおこります。
そして車輪、つまり宗教、仏教があるからこそ人生を着陸できるのです。人生に決着をつけることができる。その安心を今頂いて、今を生き抜くことができるのです。
私は飛行機と言えば、やはり両翼だ。両翼なくして飛行機とは言えないと思いまして、先輩にそう答えますと先輩は「いいや」と首を横に振ります。
次に思ったのがエンジンです。あの巨大な鉄の塊を飛ばすのには強力なエンジンが不可欠!と答えたのですが、先輩の答えは「NO!」でした。
ううむ。コクピットかしら?と思って答えようとすると、先輩は先にこう言われました。
「飛行機で一番大事な部分は色々ある。だけど僕は、車輪が一番大事だと思うよ」と。
それはなぜか?先輩いわく、車輪がなければ飛行機はまず飛び立つことが出来ない、と。確かに。
どんなに立派な両翼があっても、強力なエンジンを積んでいても、車輪がなければ飛び立てません。
飛行機が大空に飛び立つことが出来るのは、機体を足元から支え、滑走路を転がる車輪があってこそです。
そして、空中を飛んでいる時に車輪は一見必要ないものと見えるかもしれません。しかしそれは違うと先輩は言うのです。飛んでいる時こそ、車輪が必要だ、と。
それは「飛び立った飛行機は必ず着陸するから」だそうです。これまたごもっとも。
「車輪のない飛行機なんて乗りたいとも思わないよ」と言いきる先輩が頼もしく、なぜか格好良く思えてきました。
どんな飛行機は飛べば、いつか必ず着陸するのです。その時車輪がなければ飛行機は壊れ命の保証はありません。安全に着陸するためには、飛んでいる時に車輪が絶対に必要です。(当り前と言えば当たり前ですが、有難いこととも言えると思います)
ここで僕はふとこう思いました。ここで言う車輪って「宗教」や「仏教」の譬えなのではないか?と。
人生の助走の時期である子どもの頃や思春期や青年期、大きな自分自身の大きな壁にぶち当たることが多々あります。しかし以前メリシャカにも書いたことですが、そんな時僕自身、仏教の見方・考え方に救われたなぁと感じたことがあります。
これが飛行機が飛び立つときと言えないだろうか?自分の足元から支えてくれていることに気付かされた喜びがあります。
そして、大空を飛んでいる時、つまり大人になり、社会の中で生活している時に、「宗教」「仏教」は一見必要ないと思われるかもしれません。しかしそのような時でも車輪は飛行機の足元にピッタリと離れないように、「宗教」「仏教」は私を見えないところから支え、包み込んでいるのです。
飛行機は、飛んでいると色々な出来事に遭います。乱気流に飲み込まれ、左右上下に揺れたりします。そして、飛行機は必ず着陸の瞬間にあうのです。
一生にも思いもよらない出来事がおこります。
そして車輪、つまり宗教、仏教があるからこそ人生を着陸できるのです。人生に決着をつけることができる。その安心を今頂いて、今を生き抜くことができるのです。
コメント
- もりもり
- 2011/03/10 3:59 PM
もりもりさん。コメント有り難うございます。
BUMPの車輪の唄、僕は泣きながら半永久リピートで聞きまくったことがあります。
BUMPの車輪の唄、僕は泣きながら半永久リピートで聞きまくったことがあります。
- ちすい
- 2011/03/10 8:56 PM






BUMP OF CHICKENの曲の味わいが変わりました。