あの日とその後
- 2011年03月18日(金) 文:sakulla
- 仏声人語
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立つことのできない揺れとはこういうことかと冷静に思いつつ、 仁王立ちしている息子に驚嘆する。
その息子に覆いかぶさるようにして抱きしめ、何をすることが最善なのかを考えたが、答えは出ない。
そうして静かに動転している自分に気づき、ただ息子を守ることだけを考えた。
どれくらいの時間が経ったのか…、船酔いのような状態が続き、揺れがおさまったのかどうかの判断ができないほど、感覚がおかしくなっていた。
しばらくして我に返り、息子を抱きかかえて階下に降りる。
余震が続く中、地震の被害を見て回ると、本堂の内陣の白壁が一部崩落していた。
その後の点検で、墓地の燈篭1基が全壊してしまっていたが、その他は落下程度の被害で済んだ。
何より、人的被害がなかったことが幸いだった。
しかし、東北の地震と余震に続き、千葉・茨城・長野・静岡を震源とする地震の余波を、震度3や震度4で受け続けたストレスが、目に見えて現れたのは飼っていた犬だった。
自分の体を噛み、血がベッドや絨毯につくほど掻き毟る。
そして、相次ぐ地震と停電と原発の深刻な状況に加え、日常生活に支障をきたす品不足から、漠然とした不安に少し参っていた私の気持ちが伝染したのか、息子がたびたび癇癪を起こすようになってしまった。
温かいご飯を食べ、お風呂で温まり、暖かな布団で就寝する。
至極当たり前の、普通の生活ができている私が、この現状に小さな悲鳴をあげている。
ならば、被災地での悲鳴はいかばかりかと、想像することさえおこがましく、己の弱さをただ恥じる。
その私にできることは何なのか。
メリシャカメンバーのkenshoさんとタツヤさんは、東京教区内の茨城の被災地へと救援物資を届けに行った。
それができない自分の立場を歯がゆく思うが、行っても足手まといになるだけなのは明らかだ。
ならば今できることは、ただ一つ。
数人の諭吉さんに、自分の代わりに現地で頑張ってもらうことにした。
様々な痛みに打ち伏しがれている方の心に灯火を、立ち直ろうと精一杯踏ん張っている方には支える手を…。
そのために、これからも些細なことであっても自分にできることを探し続けよう。
一人でも多くの方が暖かな、そして心穏やかな春を迎えるとこができるよう、願うだけではなく行動に移していこう。
そして、この有り難いいのちを生かされているということを、同じように有り難いいのちを懸命に生ききった方々が残したご縁を辿りながら見つめていこう。
でも今は…。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
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