東日本大震災に思う 生きていくということ
- 2011年04月02日(土) 文:るる
- 仏声人語
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3月11日。
この日は私は職場にいて、事務仕事をしていた。
15:00手前、そろそろ子どもたちのお昼寝も終わるので、事務仕事を切り上げようとしたとき、PCのトップページに地震発生の文字。また、津波注意報の文字。
思わずツイッターを見る。そこに、信じられない文字が躍っていた。
大津波とか、仙台空港壊滅とか。
だいたい、「壊滅」なんて言葉、日常では使うことがない。
そう、戦時中のことを聞く以外には。
えらいことだ、と思って高揚していたのだと思う。
自分の不注意で転んでしまい、なんと左足を骨折してしまった。
あとで友人には、「京都もゆれたんでしょ、それで怪我したの?」と聞かれたがまったく関係がない。
けど、この怪我以降、私の生活は地震に関する報道やさまざまな意見とともにすごすことになり、生活に関しても、かなり状況が変わった。
どうやら、私の価値観にも大きな変化をもたらすことになりそうな私の3・11である。
被災したわけでもなく、計画停電や放射性物質の影響もなく、物資の支援や募金くらいしかできない私である。
ご多分に漏れず、デマメールやデマ情報を信じたり、右往左往してただ涙する。
骨折して不自由な生活。家族を始め多くの人の助けが必要な生活。
私の不自由なぞ、何千分の一、何万分の一かとは思うが、避難所などで暮らす人たちを思う。
報道の中で一番心を打つのは、メディアの写真だった。
小さな子どものご遺体の一部や、引き上げすらされないままの泥水に浸かったご遺体。
瓦礫の前でなりふりかまわず慟哭する若い女性。
ご遺体を発見したであろう瞬間の、自衛隊の方々の悲哀の表情。
物資の運搬やボランティアで現地に入った僧侶たちは、口々にこう伝えてくれる。「言葉にならない」と。
被災したわけでもなく、計画停電や放射性物質の影響もなく、物資の支援や募金くらいしかできない私である。ご多分に漏れず、デマメールやデマ情報を信じたり、右往左往してただ涙する。
そんな私にいったい何ができるか。
今回のことで、生活そのもの生き方そのものを見直そうという運動がおきている。原発の影響が大きい。
地震が必ず起こるこの国で、莫大な電力を使う生活を送るということはいったいどういうことだろう。それをひとりひとりが考えずして、この問題は解決しない。
「戦後、地震の休止期が偶然重なったために、日本で原子力発電が導入され、高層ビルが建ち、一億総生産のスローガンの下、高度経済成長ができたのだ。しかし、90年代に入って、休止期は終わり、活動期に入っている。地震と共存できる社会の在り方を模索しなければならない」という学者による国会での説明を目にした。
【衆議院予算委員会公聴会(2005年度総予算)】2005年2月23日 神戸大学 都市安全研究センター教授石橋克彦氏
http://www.stop-hamaoka.com/koe/ishibashi050223.html
一学説にすぎないと一蹴する向きもあるが、これが本当だとすれば、私たちはもう、今のままではいられないだろうと思う。
それは、原発のあるなしにかかわらず、私自身や私の大事な人が明日、いなくなるかもしれないということであり、地震とともに生きる覚悟をするしか、ないのではないか。
また、報道で、「安心ですよ」と言われても信用できないと思うのに、「これは不安」と言われたら信用してしまうのはなぜだろう?
自分の生活が安全な時には、「これは不安」といわれた情報のほうが信用できないって言っていたはずなのに。
この私の判断がゆらゆら揺れるのが、はっきりとわかる。
どちら向きの情報もバランス良く取り入れ、そのうえでいつもニュートラルに判断することの難しさを実感するのである。
おそらくどんなに時代が進んでも、起きてしまう地震などの自然災害に対して、私たちは無力だ。
避難所で生活されている人たちの姿、それは明日のわが身として考えるべきだろうと思う。
この生き残ってしまったという意識にさいなまれる人も多いだろう。「あの人は死に、私は生き延びた」その意味を考えざるを得ない人たちがたくさんいるはずだ。
それは、被災地にいない私たちも同じこと。いろいろな原因が積み重なって、たまたま、今を、生きている。
そのいのちの、なんと有難いことか。そしてなんと、不思議なことか。
すべてのいのちは尊い。
亡くなったいのちも、今生きているあなたのいのちも。
「天上天下唯我独尊」
我というのは私であり、あなたである。お釈迦さまのメッセージが心に響き、ただただ手を合わせる。
たった今、嘆き悲しみ苦しんでいる人に寄り添いたいと、心から願う。





