宗論はどちらが勝っても釈迦の恥
- 2011年05月05日(木) 文:るる
- 仏声人語
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先日、タイトルにつけた言葉を目にしました。
江戸時代の川柳と伝えられています。
自分の宗派にこだわるあまり、他の宗派の教義に異を唱えたり、
頭から否定したりしてしまうことが、残念ながらあります。
私は浄土真宗の寺院に生まれたので、
同じ仏教の各宗派のこともあまり知らず、
なのに、自分の宗派だけが正しく、他は排除すべきこと・
それを信じて心のよりどころとしている人が確かにいるのに、
あれもこれも信仰してより道に迷うようなことは本末転倒なのでし
少なくとも、
そこにある迷いの根本や苦悩の原因に目を向ければ、
とかく自分の生き方や考え方だけが正しいと思い、
これは、宗教の問題だけに限らず、
残念ながら、そうなのです。
このことを自覚して心にとどめておけばよいのですが、
その繰り返しの毎日です。
親鸞聖人は、次のような言葉をお伝え下っています。
「むかしは弥陀のちかひをもしらず、
釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、
もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・
仏のちかひをききはじめしより、
三毒をもすこしづつ好まずして、
すこしづつすこしづつ。
それでいいのだ、とやさしく言ってくださる方もあるのですね。
このたびの震災では、
私も、
そこでは、たぶん、





