宗論はどちらが勝っても釈迦の恥

先日、タイトルにつけた言葉を目にしました。
江戸時代の川柳と伝えられています。


自分の宗派にこだわるあまり、他の宗派の教義に異を唱えたり、

頭から否定したりしてしまうことが、残念ながらあります。


私は浄土真宗の寺院に生まれたので、他の宗派のことは存じ上げません。
同じ仏教の各宗派のこともあまり知らず、キリスト教や神道などに至っては常識の範囲でも怪しいものです。

なのに、自分の宗派だけが正しく、他は排除すべきこと・馬鹿らしいこと・間違っていることとして認識してしまうことが多々あります。
それを信じて心のよりどころとしている人が確かにいるのに、自分だけの視点でもって切り捨ててしまうことは避けなければなりません。
あれもこれも信仰してより道に迷うようなことは本末転倒なのでしょうが、
少なくとも、そこにいる人の心を思いやらずにほかの宗教宗派を攻撃するようなことだけは慎まなければならないのではないかと思います。


そこにある迷いの根本や苦悩の原因に目を向ければ、そのあらわれかたが違うだけなのに。
とかく自分の生き方や考え方だけが正しいと思い、それから少しでも外れた者に対しては否定したくなる。


これは、宗教の問題だけに限らず、日常の些細な出来事に至るまで、それが私のありようです。
残念ながら、そうなのです。
このことを自覚して心にとどめておけばよいのですが、これまた都合のいい時に忘れてまた他人を攻撃してしまう・・・
その繰り返しの毎日です。


親鸞聖人は、次のような言葉をお伝え下っています。
「むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、
釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。
もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、
仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、
三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし」


すこしづつすこしづつ。
それでいいのだ、とやさしく言ってくださる方もあるのですね。


このたびの震災では、宗派を超えて協力する宗教者もたくさんありました。
私も、縁あって真言宗のお坊さんの支援活動に少し協力させていただいたりもしました。
そこでは、たぶん、宗論などはまったく関係なかったのではないかと思っています。 

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