意識するということ
- 2011年06月14日(火) 文:kenyou
- 仏声人語
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例えば、毎月のお参りに行った時に、ご門徒の方から「来月の◯日にご法事をお願いしたいのだけど」とお願いをされることがあります。
その場で予定を確認できないこともあるので、「では予定を確認してまたご連絡します」と伝え、寺に戻ってそれを住職に報告し、予定を確認して連絡するのが基本的な応対です。
ところが、住職にご法事の依頼があったことを伝える際、そのご門徒さんの名前が出てこないことがあるんです。さっきお参りに行ってお会いしたばかりなのに、名前が出てこない。
名前が出てこないくらいならまだ良いのですが、ご法事をお願いしますと言われたのに、そのことを住職に伝えそびれたり、お願いをされた後に何件かお参り回っている間に、その事忘れてしまって大変失礼なことをしてしまうという失敗もしたことがあります。
我ながら本当に情けなく、申し訳ないことです。
しかしなぜこんな物忘れをするのか。
ひょっとして病気!?と疑ったこともあります。
検査したわけではないので、これはなんとも言えないところです。
でもとりあえず身体に異常があるわけでもないので、今のところ病気ではない、と思っておくことにしています。
他に考えられる原因は、一つは年齢もあるのかもしれません
けれど何より問題なのは、私の意識の仕方にあるのかもしれないと最近思うようになりました。
どうも私は意識が散漫で、一つのことに集中するということが苦手なところがあります。
受験生の時もラジオを聞きながら勉強していましたし、このコラムを書いている間も、音楽を聞きながら書いています。
さらには時折ツイッターのTLを確認したり、ネットでどうでもいいサイトを見てしまったりしてしまいます。
作業をしていても別のことを考えたり、忙しい時などは次の予定に目が向いてしまったり、過去のことを思い出して悩んだり、「今ここ」にしか自分はいないはずなのに、意識は「今ここ」になく、どこか別の時空に行ってしまっている。
だから、お参りに行っていても意識が別のところに向いてしまい、自分がどこのお家にいて、誰とお話しているのかということに集中できず、結果として名前やお願い事を忘れてしまうということになってしまうのかもしれません。これは本当に良くないことです。
お釈迦様の言葉をまとめた「ダンマパダ」には、次のような二つの言葉があります。
一つ目の言葉にある「放逸の人」というのは、「今自分が何を為すべきか分かっていない人」ということだそうです。
仏教は、「今ここ」を大切にする教えです。
私たちにとっては、「今ここ」しかないからです。
過去は戻ってきませんし、未来は一秒一秒、一瞬一瞬の今の積み重ねです。
ですから、過去を憂いても、この先を不安に思っても、どうにもなりません。
その事に頭を悩ませて、「今ここ」を漫然と過ごしたりおろそかにしてはいけない、「今ここ」にしっかり意識を集中し、今為すべきことをしっかりと為すことが大切である。そういうことを教えてくれる言葉であると思います。
注意力散漫で、つい物忘れしてしまう私。
そういうことがないように、この言葉を肝に命じ、「今」自分が「何をしているか」をしっかり意識して、「今ここ」を大切にしていきたいものです。
その場で予定を確認できないこともあるので、「では予定を確認してまたご連絡します」と伝え、寺に戻ってそれを住職に報告し、予定を確認して連絡するのが基本的な応対です。
ところが、住職にご法事の依頼があったことを伝える際、そのご門徒さんの名前が出てこないことがあるんです。さっきお参りに行ってお会いしたばかりなのに、名前が出てこない。
名前が出てこないくらいならまだ良いのですが、ご法事をお願いしますと言われたのに、そのことを住職に伝えそびれたり、お願いをされた後に何件かお参り回っている間に、その事忘れてしまって大変失礼なことをしてしまうという失敗もしたことがあります。
我ながら本当に情けなく、申し訳ないことです。
しかしなぜこんな物忘れをするのか。
ひょっとして病気!?と疑ったこともあります。
検査したわけではないので、これはなんとも言えないところです。
でもとりあえず身体に異常があるわけでもないので、今のところ病気ではない、と思っておくことにしています。
他に考えられる原因は、一つは年齢もあるのかもしれません
けれど何より問題なのは、私の意識の仕方にあるのかもしれないと最近思うようになりました。
どうも私は意識が散漫で、一つのことに集中するということが苦手なところがあります。
受験生の時もラジオを聞きながら勉強していましたし、このコラムを書いている間も、音楽を聞きながら書いています。
さらには時折ツイッターのTLを確認したり、ネットでどうでもいいサイトを見てしまったりしてしまいます。
作業をしていても別のことを考えたり、忙しい時などは次の予定に目が向いてしまったり、過去のことを思い出して悩んだり、「今ここ」にしか自分はいないはずなのに、意識は「今ここ」になく、どこか別の時空に行ってしまっている。
だから、お参りに行っていても意識が別のところに向いてしまい、自分がどこのお家にいて、誰とお話しているのかということに集中できず、結果として名前やお願い事を忘れてしまうということになってしまうのかもしれません。これは本当に良くないことです。
お釈迦様の言葉をまとめた「ダンマパダ」には、次のような二つの言葉があります。
為すべきことを捨て
為すべからざることをなし
放逸の人には
煩悩が増大する (292)
常に身体の動きに
気づくことに努力して
為すべからざることは為さず
為すべきことは為し
寂静であり正しく知る人には
煩悩がなくなる (293)
一つ目の言葉にある「放逸の人」というのは、「今自分が何を為すべきか分かっていない人」ということだそうです。
仏教は、「今ここ」を大切にする教えです。
私たちにとっては、「今ここ」しかないからです。
過去は戻ってきませんし、未来は一秒一秒、一瞬一瞬の今の積み重ねです。
ですから、過去を憂いても、この先を不安に思っても、どうにもなりません。
その事に頭を悩ませて、「今ここ」を漫然と過ごしたりおろそかにしてはいけない、「今ここ」にしっかり意識を集中し、今為すべきことをしっかりと為すことが大切である。そういうことを教えてくれる言葉であると思います。
注意力散漫で、つい物忘れしてしまう私。
そういうことがないように、この言葉を肝に命じ、「今」自分が「何をしているか」をしっかり意識して、「今ここ」を大切にしていきたいものです。
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