君と僕とアミダ様の法話「初参式」
- 2011年08月11日(木) 文:チスイ
- 仏声人語
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猛暑の中のお参りにクラクラすることもあるけれど、お参りするのを待って下さり、お仏壇に家族そろって手を合わせお経を読んで下さる方もおられて、有難いなぁと思う。
今年びっくりしたことは、お寺の子ども会に遊びに来てくれていた子が数年ぶりに会って驚くほど成長していたこと。身長が自分と変わらなくなったその子を見て、32歳にして、僕は生まれて初めて自分は年をとったのだなぁと感じてしまった。
子どもたちに仏さまのご縁に遇ってほしいと、切に願う。今回おススメするのは、お寺でも「初参り」があるということ。「初参式(しょさんしき)」と言います。
よく神社などで「お初参り」があるが、それのお寺版と言って良い。
お寺によっては年に一回盛大に行われている所もある。メリシャカメンバーのお寺でも結構初参式されていますね。としさんの善巧寺さんは、花祭り(メリシャカ)と一緒にされていて、境内にチューリップの花をいっぱいに散りばめて毎年大変賑やかそうだ。
うちのお寺では今までに一回だけ、ご門徒さんに依頼されて初参式を行ったことがある。
結構お寺の「初参式」は僕の周りで人気がある。あるご門徒さんの所でお話をお聞きしたのだが、広島のお寺でお子さんが初参式を受けたらしく、とても良かったと言われ、それはなぜか?と聞くと「お菓子をいっぱい貰えたから」だそうだ(笑)
お寺は基本的に子どもたちにご縁に遇って欲しくて、来て頂きたいので、たくさんプレゼントを用意する所があるのだ。
この初参式、最近僕が聞かせてもらって感動した話がある。
そもそも、お寺や神社に人はなぜ我が子を連れてお参りするのか?
それは「この子が健やかに成長しますように・・・」と願う為であろう。親としての偽りのない願いと言って良い。
しかし、お寺での、特に浄土真宗においての初参式には、その続きがあるのだ。
「この子が健やかに成長しますように・・・
しかし、この世界は無常で、人生には何事が起こるか分かりません。遭いたくないことにも遭うかもしれません。いや、必ず遭ってしまうでしょう。怪我や病気、さまざまな苦しいこと。悲しいこと。しかし、それが現実なのです。
我が子に何事があろうとも、私はこの子の親として、この子に寄り添い続けます。
アミダさま。この子の人生にどんなことがあっても、私はこの子の親であり続けます」と、アミダ如来様に誓う式が浄土真宗の「初参式」なのだ。そういうお話をお聞きして、僕は正直涙が出てしまったわけです。
なぜそのようなことを誓うのかというと、アミダ如来というみほとけが、いつでもどこでも、どんな時でもこの私を一人子のように思い共にあり続けて下さっているからに他ならない。もっと言うと、僕が忘れている時も、調子に乗って浮かれている時にも、常に案じ続けて下さっているのだ。
我が子が喜ぶ時には共に喜び、我が子が悲しみにある時には共に悲しむのがアミダ様のお心なら、そのお心に出遇った私は、アミダ様のようにというのは無理だが、せめて我が子に対して親であり続けたい。多分そう誓うことによって、そうはなかなかいかない「親であれない」現実に打ちひしがれることが来るのは必然なのだろうが。
僕も1歳10カ月になる娘の親だ。最近娘をお風呂に入れる時に「パイ!パイ!」と言って、僕の胸を触ってくる。父の乳を・・・(どんなオチだ!)





