鰻の話。
- 2011年10月19日(水) 文:sakulla
- 仏声人語
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けれど、お重がない・・・。
実はこれ、iPhoneカバー。
食品サンプルの職人さんが、一つ一つ手作りで仕上げたというカバー。
鰻の照りから、たれの染みたお米の一粒一粒に至るまで、思わず食べてしまいたくなるほどリアルに再現されている。
ネットでこのカバーを発見したとき、その面白さに思わずポチッたのだが、私はiPhoneユーザーではないので、利用者である旦那へプレゼントした。
だが、ちょっと重いのと、カメラに対応していなかったというのと、人前で出すのが恥ずかしいという至極全うな理由で、装着してくれたのは1日だけだった。
こんなふうに、私の愛情は基本的に伝わりづらい。
まぁ、何かの折で、仕込みネタにでも使ってもらえればいいだろう。
さて、個人的なことだが、「鰻」というと思い出すのが「六師外道」の一人、サンジャヤ・ベーラッティプッタの「鰻論(まんろん)」である。
「六師外道」というのは、お釈迦さまと同時代にインドで活躍していた6人の自由思想家の総称。
仏教を「内道」とし、仏教から見て異端とする考え方を「外道」といった。
そして、サンジャヤ・ベーラッティプッタは「懐疑論者」とも「不可知論者」とも言われ、霊魂や来世についてなどの形而学上の重要な問題に対して、曖昧な回答をして否定も肯定もしないという立場をとった人物である。
例えば、「霊魂があるのか」という問題に対して、
「あると思うなら、あると言ってもいいけれど、別にあなたが言うとおりにあると思っていないし、違う方法であるとも思っていないし、全く別なものだとも思っていないし、ないとも思っていないし、どっちでもないとも思っていない。それから、思っていないとも思っていない」
というように、ニョロニョロと掴みどころのない論法を取ることから、これを「鰻論」「うなぎ論法」と呼ぶようになった。
私も今日、鰻を食べるかどうか決まっていなし、食べてもいいけど、食べなくてもいいし、食べたいわけじゃないし、かといって食べたくないわけでもないし…。
献立に悩む主婦の戯言はこの辺にしておこう。
さぁて、夕飯は何にするか。
たまには伝わりやすい愛情で、旦那の好物でも用意してみるかな。
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