今年の漢字
- 2011年12月15日(木) 文:kenyou
- 仏声人語
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さて、年の瀬になると、今年の世相を象徴する漢字1文字が選ばれて、清水寺で揮毫されます。今年は東日本大震災という未曽有の大災害が発生し、災害の経験から家族や友人との繋がりの大切さを改めて知らされた一年だったということで「絆」という漢字が選ばれたそうです。
私自身も、なにかこの「絆」という漢字が選ばれた背景に、直視に耐えない厳しい現状を、なんとか綺麗事で覆い隠したいという、そんな意識がどこかではたらいているのではないだろうか、というような違和感を感じました。
そこでもし、今年一年を漢字一文字で表すとしたら、どんな字が適当かな、と考えてみたのですが、私は「諦」という字が良いのかな、と思いました。この「諦」という字は、「あきらめる」と読んで、あまり良い印象ある漢字ではないかもしれません。しかし、震災と共に、大きな原発事故が起こったことや、それをなんとか隠蔽しようとする東電や国の体質、そして将来に大きな課題を押し付ける核廃棄物処理の問題などを考えますと、これ以上、危険な原発を使うことを政府に「諦めて」欲しい、という思いがあることが、この「諦」という字を選んだ理由の一つです。
そしてもう一つは、この「諦める」ということは、「明らかに見る・つまびらかにする」というのが本義です。漢和辞書をひくと、仏教における「真理・さとり」という意味も書いてあります。お釈迦さまのさとりの中身を表す一番の基礎となる教えに「四諦(したい)」というものがあります。これは四つの事柄を明らかに見つめるということです。
また、以前るるさんが書かれたコラムにはこんなことが書かれていました。
「あきらめるとは、自暴自棄になることではない。真実を見極める、明らかにするということだ。それが、諦めるということである」
真実を見極める、物事を明らかに見る、ということは、言い換えれば「自分の都合を離れて物事を見つめる」ことであると、私は思います。私たちは物事を判断するときに、必ずと言っていいほど自分の都合に合わせて考えます。原発に関して、これだけの重大な事故があり、日本中の人が放射能汚染に怯えながら生活せねばならないのに、まだ原発存続を言う人もいる、というのは、原発があることがその人にとって都合が良いからでしょう。政府が「脱原発!」と言えないのも、原発があることが利益となる人達が、それだけ多くいるということであるのだと思います。そういう人達に、自分の都合や利害を離れて、今の現状を正しく見つめて、一刻も早く正しい対応をして欲しいという思いが二つ目の理由です。
そして、私たちが前を向いてその歩みを進めていくためには、今、厳しい現状の中にあっても、自暴自棄にはなるのではなく、ありのままに物事を見つめることが、まずその第一歩ともなっていくものであると、私は思います。そういう理由から、「諦」という漢字が、今年一年の締めくくりとして相応しいのではないかなと考えました。
今年一年は本当に大変な一年でした。だからこそ、だからこそ、それを綺麗事などで覆い隠してしまうのではなく、この一年をもう一度しっかりと見つめ直し、正しく、今私たちが置かれている状況を知っていかねばならないのだと思います。
年が明ければ、この大変な一年は終わります。けれども、私たちはまだ大きな問題の渦中にあること、それだけは忘れずにいなければなりません。





