魔女はなぜ死んだのか?

3歳の息子に読み聞かせ用の童話集の中にある「ヘンゼルとグレーテル」を読んだ。
すると息子がこう言った。

「魔女はなんで死んじゃったの?」

この言葉を聞いて、面倒くさがりの私は読んだことを後悔した。
 
 

「ヘンゼルとグレーテル」は、その名を持つ兄妹が口減らしのために親から捨てられたことに始まる物語だ。
空腹の中、深い森をさまよった末に、「お菓子の家」を見つけ、その家を無断で食べる。
住人であるおばあさんに咎められても、悪びれることなく食べ続ける。

おばあさんは魔女で、ヘンゼルを牢に入れ、食べる準備をグレーテルに手伝わせる。
そのとき、グレーテルは魔女を騙して炎の燃え盛るかまどの中に突き飛ばして、焼き殺すわけなのだが・・・。
果たしてこれは、未必の殺意なのか、確定的殺意だったのか・・・。

「魔女はなんで死んじゃったの?」

本当に、子供の「なんで?」は確信をつくから面倒だ。

なぜ、魔女は殺されたのか。
なぜ、グレーテルは殺したのか。

それは、単純に恐怖から逃れるためなのかもしれないし、兄を助けたかっただけなのかもしれないし。
危機的状況から脱するための機転の利いた行動だったのかもしれないが、息子に推奨する気には到底なれない結末。

思えば、グレーテルのこの行為を非難する声を聞いたことがない。
なぜなら、魔女は滅せられて当然の存在であるからだ。

だが、この物語の中で道徳的・人道的に悪いことをしていない人物は登場しない。
だから滅せられて当然の存在である魔女に、私は同情的ですらある。

それに私は、自らの中にいる魔女の存在を否定しない。
魔女が欲望のままに子供を強いしたように、私も心の中で邪魔なものを簡単に排除する。
実行するか否かの違いは大きかろうが、そうでしか生きられないのならば、そうする縁が訪れたのなら、私は躊躇することなく実行に移すのかもしれない。
そういう生き方をしているにもかかわらず、もし私が殺されたら理不尽に思うはず。
きっと、魔女も同じように理不尽に思ったことだろう。
 
たぶん、この物語に登場するすべての者が、それぞれにそうする縁が訪れて、そうして自らの思う通りに行動したのだ。
だから、魔女は死んだ。

正解とは言い難い結論と承知しつつ、そう息子に言ってみた。

ただ、特にグリム童話は道徳的観念を超越しているという話を聞いたことがある。
童話というと、そこにある教訓なりを読み解いたり、道徳的要素を知らず知らずのうちに刷り込まれていたりというもののように感じていたわけだが、そういう認識は改めたほうがいいのかもしれない。

ちなみに、ヘンゼルとグレーテルの兄妹は魔女がいなくなったお菓子の家の中を物色し、金目のものを持ち出して帰路につき、それを元手に父親と家族3人でいつまでも幸せに暮らしたという。
たくましく合理的な生き方に共感しつつも、息子を前にすると・・・やっぱり、読んだことを後悔した。
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