大いなる安心

私事になるが、3月末日で東京の築地にある本願寺築地別院(現在は築地本願寺)を退職した。


足掛け9年6ヶ月もの間奉職させて頂き、お育てのご縁を頂戴した。


それに伴い広島県三原市にある自坊(JR山陽本線 本郷駅徒歩3分の西念寺。どうぞお参り下さい)に実に15年ぶりに帰ってきた。


高校時代も大変厳しいクラブに入っていたのでその時代もほとんど家にはおらず、その期間を含むと地元に腰を据えて生活するのは実に18年ぶりになる。


地元なのに分からない事だらけで、帰る事を決意するのは暗い闇の中に入るような気持ちでいっぱい。


僕だけではなく北海道出身の妻は、そんな思いよりも遥かに複雑な思いで帰ることであることは安易に想像がつく。


そして子どもたち二人はなおさら。


特に長女の利奈は、東京で4年生活をしていたこともあり、すっかり標準語で育った。


まさに「あのさ〜」(標準語)から「あのの〜」(広島弁)への移動である。



東京から広島まで車での移動。


正直よっぽどの用事がないと、今後は広島から東京へ行く用事がない。


東京を離れる時は、涙を零しながらハンドルを握った。


関西からいよいよ中国地方へ入り、岡山から広島へ。


不安な思いで一杯な運転。


そしていよいよ三原の自坊へ到着した瞬間、そこにはいつもと変わらず自坊の桜が綺麗に咲いていた。



桜の花は、冬がすぎ春になると温かくなり自然に咲く。


それは自然にそうなるのであって、だれかがどうにかしようとしてそうなっているわけではない。


それは、自然にそうなるべくしてそうなるのである。


まさにその自然の営み、季節の移り変わりこそ、仏の働きであり、仏の姿そのものである。


私たちはどうにかしようとすることにより不安になる。


それはいつもすべて任せきれない有様、自然の有り様を勘違いして我がものとして執着していただけのこと。


自坊に咲く桜は、「心配するなよ」と仏様の呼び声であるかのよう。


西念寺の桜は今年も綺麗に咲いていた。


阿弥陀如来の願いの中へすっと落ち、大いなる安心の中、地元での一歩を踏み出した。

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