君と僕とアミダ様の法話8「お立ち姿」
- 2012年05月09日(水) 文:チスイ
- 仏声人語
- comments(0)
浄土真宗のご本尊、アミダ様の御木像は必ず「お立ち姿」をされている。
仏像には座られているものも多い。そもそもおさとりを開かれた仏様は本来、軽々しい振る舞いをされない。蓮の台にどっしりとお座りになられるようなお方である。
では、どうして浄土真宗のアミダ様はお立ち姿なのか?
それは苦しみに満ちて、危なっかしい生き方をしているこの私の苦しみ・悲しみを我が事と感じ、座って見ることができなかったからだ。
だからこそ、アミダ様は、ゆったりと蓮台に座っていることができず、急いで立ち上がり、私たちのもとにもう既に来て下さっている。

ところで、伊集院光というタレントが大好きだ。テレビではクイズ番組などによく出て博識な魅力を発揮している。賢くて穏やかそうなイメージがあるのではないだろうか?しかし彼の真骨頂はラジオだ。そしてラジオでの彼は違う。
学生時代深夜の「伊集院光のOhデカナイト!」を楽しみに聞いていたが、今も「JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」でラジオパーソナリティとして活躍している。
ラジオではテレビで見せないような超ハイテンションで変態で毒舌、非モテのヒーローで、DT(心はいつも童貞)そんな伊集院の話が僕は学生時代好きで好きでたまらなかった。
ちなみにファンからはテレビでの彼は「白伊集院」と言われ、ラジオでのは「黒伊集院」と言われる。
これ程、キャラに両面あり使い分けているタレントも珍しいのではないだろうか?
そんな伊集院光が、東日本大震災の直後のラジオで話した内容を先日ネットで読んだ。
仏像には座られているものも多い。そもそもおさとりを開かれた仏様は本来、軽々しい振る舞いをされない。蓮の台にどっしりとお座りになられるようなお方である。
では、どうして浄土真宗のアミダ様はお立ち姿なのか?
それは苦しみに満ちて、危なっかしい生き方をしているこの私の苦しみ・悲しみを我が事と感じ、座って見ることができなかったからだ。
だからこそ、アミダ様は、ゆったりと蓮台に座っていることができず、急いで立ち上がり、私たちのもとにもう既に来て下さっている。

ところで、伊集院光というタレントが大好きだ。テレビではクイズ番組などによく出て博識な魅力を発揮している。賢くて穏やかそうなイメージがあるのではないだろうか?しかし彼の真骨頂はラジオだ。そしてラジオでの彼は違う。
学生時代深夜の「伊集院光のOhデカナイト!」を楽しみに聞いていたが、今も「JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」でラジオパーソナリティとして活躍している。
ラジオではテレビで見せないような超ハイテンションで変態で毒舌、非モテのヒーローで、DT(心はいつも童貞)そんな伊集院の話が僕は学生時代好きで好きでたまらなかった。
ちなみにファンからはテレビでの彼は「白伊集院」と言われ、ラジオでのは「黒伊集院」と言われる。
これ程、キャラに両面あり使い分けているタレントも珍しいのではないだろうか?
そんな伊集院光が、東日本大震災の直後のラジオで話した内容を先日ネットで読んだ。
その日はいつも通り、いやいつも以上にくだらない事ばかり話したみたいでエンディングになった。
エンディングの話は伊集院が若手の芸人に聞いた「ワッハッハおじさん」という話だった。
1995年1月1日阪神大震災の時、その若手芸人はまだ子どもだった。
家にヒビが入って学校の体育館のような避難していた時、変なおじさんに出会った。
そのおじさんは、避難所でいきなり「おじさんは、ワッハッハ星人だ!」と子どもたちに名のったらしい。
それはまるで「気合いだ!気合いだ!ワッハッハ!」というアニマル浜口のようなテンションだった。
おじさんは基本役に立たないおじさんだったと言う。他の真っ当な大人は、外に出て震災の後の仕事をしたり、避難所で食事の用意や手伝いに忙しかったのだろう。
大人が色んな世話をしている中、「ワッハッハ星人だ!」っておじさんは言う。そして「おじさんに触ったら、もうワッハッハって言わなきゃダメだ!」ってルールを勝手に作って、鬼ごっこみたいな事を始めた。鬼ごっこみたいに。
おじさんに捕まると、子どもたちはもう仕方ないからおじさんの言うとおり「ワッハッハ!ワッハッハ!」って言っているだけ。
ある日のこと、おじさんは「今日は全員を捕まえて、全員ワッハッハ星人にしたら、おじさんは次の星に行く」と伝え子どもたちを皆を捕まえ出した。
しかし子どもの頃の芸人は、子どもの中ではちょっと大きく、足が速かったそうで、ワッハッハおじさんに捕まらなかった。逃げ切ってしまったのだ。
皆がこう捕まって、ワッハッハ笑っているのに、自分だけがやれないのが、ちょっとさみしくなってきて、その日の夜、ワッハッハおじさんの所に捕まえてもらおうと思って行ったそうだ。
そうすればワッハッハ仲間になれると思って行ったら、おじさん、一人で泣いていたのだそうだ。
伊集院光は東日本大震災の直後のラジオで、いつも通りバカなことをやり、話して最後この話で締めくくった。少し長いけど書き起こしたものを引用します。
「えー、そのぉ、お・俺は多分、あのぉ ワッハッハ星人になりたい なりたいなって、ちょっと思ったりとか。
あと、今、そういうとこにいてさ、あんまやる事なかったからさ、そういう役目もあるんじゃない?って、ちょっと思ったりするね。
あと、あの がんばれって言うのが普通かしんないけど、がんばってるよ!多分。多分皆、がんばってるっていうか、もう そこで息をしてる事でも、もうがんばってる!っていう意識は持った方がいい。
もう その えーっと 皆がこれ以上、がんばれって言ったところで がんばり様なんか、誰も分からないのに、つい、僕らは、リズムでがんばれって言っちゃいがちなんだよね。
あの、失礼のない言葉だと思って。で、その気持ちも分かってほしいんだ。その短い言葉で、自分たちはあなた達の味方ですって言うために、がんばってっていうので締めちゃうけど、自分たちは多分がんばってると思うので、あの…とりあえず、今日をやり過ごして、みませんかっていう。
えぇ、色々失礼ありましたけども、ほんとに、あの 良い明日が来るように」
ワッハッハおじさんのワッハッハ笑いの背景には「きっと今一番きついのは、気持ちを上手く表に出すことができない子どもたちだ。なんとかして、子どもたちを笑顔にしたい。だから、自分には何もできないけれど、ワッハッハ星人になろう!」という思いがあったのだろう。
その思いが、おじさんをワッハッハ星人にし、子どもたち一人一人を抱きしめて回り、あえて笑わせたのだろう。
伊集院はワッハッハおじさんに共鳴し、いつも通りのバカバカしいラジオを放送した。僕はこの伊集院の話からアミダ様のお立ち姿を思った。
アミダ様のお立ち姿は、慈悲の心の極まりをあらわしているという。僕たちの苦しみ悲しみを見抜き、「泣きたい時は泣いて良いよ。我慢しなくて良いよ。我慢しているアナタの方が、よっぽど心配だよ」と、頑張って我慢して・・・絶望し立ちあがる事ができない僕たちの為に、アミダ様の側が急いで立ち上がり、今いたり届いて、抱きしめて下さっているのだ。
次回のコラムは、メリシャカ新メンバー、うりさんの登場です!
エンディングの話は伊集院が若手の芸人に聞いた「ワッハッハおじさん」という話だった。
1995年1月1日阪神大震災の時、その若手芸人はまだ子どもだった。
家にヒビが入って学校の体育館のような避難していた時、変なおじさんに出会った。
そのおじさんは、避難所でいきなり「おじさんは、ワッハッハ星人だ!」と子どもたちに名のったらしい。
それはまるで「気合いだ!気合いだ!ワッハッハ!」というアニマル浜口のようなテンションだった。
おじさんは基本役に立たないおじさんだったと言う。他の真っ当な大人は、外に出て震災の後の仕事をしたり、避難所で食事の用意や手伝いに忙しかったのだろう。
大人が色んな世話をしている中、「ワッハッハ星人だ!」っておじさんは言う。そして「おじさんに触ったら、もうワッハッハって言わなきゃダメだ!」ってルールを勝手に作って、鬼ごっこみたいな事を始めた。鬼ごっこみたいに。
おじさんに捕まると、子どもたちはもう仕方ないからおじさんの言うとおり「ワッハッハ!ワッハッハ!」って言っているだけ。
ある日のこと、おじさんは「今日は全員を捕まえて、全員ワッハッハ星人にしたら、おじさんは次の星に行く」と伝え子どもたちを皆を捕まえ出した。
しかし子どもの頃の芸人は、子どもの中ではちょっと大きく、足が速かったそうで、ワッハッハおじさんに捕まらなかった。逃げ切ってしまったのだ。
皆がこう捕まって、ワッハッハ笑っているのに、自分だけがやれないのが、ちょっとさみしくなってきて、その日の夜、ワッハッハおじさんの所に捕まえてもらおうと思って行ったそうだ。
そうすればワッハッハ仲間になれると思って行ったら、おじさん、一人で泣いていたのだそうだ。
伊集院光は東日本大震災の直後のラジオで、いつも通りバカなことをやり、話して最後この話で締めくくった。少し長いけど書き起こしたものを引用します。
「えー、そのぉ、お・俺は多分、あのぉ ワッハッハ星人になりたい なりたいなって、ちょっと思ったりとか。
あと、今、そういうとこにいてさ、あんまやる事なかったからさ、そういう役目もあるんじゃない?って、ちょっと思ったりするね。
あと、あの がんばれって言うのが普通かしんないけど、がんばってるよ!多分。多分皆、がんばってるっていうか、もう そこで息をしてる事でも、もうがんばってる!っていう意識は持った方がいい。
もう その えーっと 皆がこれ以上、がんばれって言ったところで がんばり様なんか、誰も分からないのに、つい、僕らは、リズムでがんばれって言っちゃいがちなんだよね。
あの、失礼のない言葉だと思って。で、その気持ちも分かってほしいんだ。その短い言葉で、自分たちはあなた達の味方ですって言うために、がんばってっていうので締めちゃうけど、自分たちは多分がんばってると思うので、あの…とりあえず、今日をやり過ごして、みませんかっていう。
えぇ、色々失礼ありましたけども、ほんとに、あの 良い明日が来るように」
ワッハッハおじさんのワッハッハ笑いの背景には「きっと今一番きついのは、気持ちを上手く表に出すことができない子どもたちだ。なんとかして、子どもたちを笑顔にしたい。だから、自分には何もできないけれど、ワッハッハ星人になろう!」という思いがあったのだろう。
その思いが、おじさんをワッハッハ星人にし、子どもたち一人一人を抱きしめて回り、あえて笑わせたのだろう。
伊集院はワッハッハおじさんに共鳴し、いつも通りのバカバカしいラジオを放送した。僕はこの伊集院の話からアミダ様のお立ち姿を思った。
アミダ様のお立ち姿は、慈悲の心の極まりをあらわしているという。僕たちの苦しみ悲しみを見抜き、「泣きたい時は泣いて良いよ。我慢しなくて良いよ。我慢しているアナタの方が、よっぽど心配だよ」と、頑張って我慢して・・・絶望し立ちあがる事ができない僕たちの為に、アミダ様の側が急いで立ち上がり、今いたり届いて、抱きしめて下さっているのだ。
次回のコラムは、メリシャカ新メンバー、うりさんの登場です!
コメント





