私のお手本の僧侶は教習所の先生?

私事ですが、最近車の免許をとりに、自動車教習所に通わせていただいております。それが、もう、とてもとてもいい教習所で、どの先生も丁寧に、丁寧に、優しく指導してくださるわけです。しかし、時には厳しい眼差しで、しかられたり、試験の不合格判定を言い渡されるときもあるわけです。そんな時はなんとも心が折れます。ちょっと先生にムキャ!っとする時もあります。
しかし、その言葉の裏の想いを考えると、「甘やかして手取り足取り、優しくするのは簡単。だけど、いつまでも私はあなたの側にいられるわけじぁない。いつか、自分一人で何もかもしなきゃならない時がくる。その時にあなたが困らないよう。事故に遭わないよう。どうか。どうか。そのために。」という願いが込められてるように思うのです。


私は現在、京都の龍谷大学で浄土真宗を学ばせていただいているのですが、浄土真宗の僧侶を志すご縁をいただき早4年、教習所の先生のように教えるなんて立場では毛頭ありません。分からぬまま、うーん、うーんと一緒に悩ませていただくことばかりです。だけど、接する方々がほんわか和んでもらえるよう、時には一人では立っていられないくらいの苦しみがあるこの社会だけれども、優しく包み込んでくださる有り難い願いの中に生かされていることを聞かせていただく。そして、その喜びが一人一人に灯っていくようなお手伝いをさせていただける僧侶になりたいと再度決意させてもらったことでした。


正直に言いますと、運転と同じくらい学問は苦手です。しかし、せめても私が出来るだろう役割を、なまけちゃぁいられません!力を入れて学問に専念!専念!



ところで、、、車の運転は目的地があってのもの。そうなると、私たちの人生の目的地はいったいどこなのでしょうか。もしお時間があれば、少し自分の心に問いかけてみてください。

 


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