君と僕とアミダ様の法話9「だいじょうぶ だいじょうぶ」
- 2012年06月09日(土) 文:チスイ
- 仏声人語
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最近ご法事などで紹介している絵本があります。いとうひろしさん作・絵『だいじょうぶ だいじょうぶ』という絵本、読むと子どもたちは身を乗り出して聞いてくれますし、大人の方々にも伝わっているように思います。何より僕自身読むたびに毎回ジーンときます。
この絵本には男の子「ぼく」とその子のおじいちゃんが登場します。
この絵本には男の子「ぼく」とその子のおじいちゃんが登場します。
内容を紹介します。
「ぼくが赤ちゃんに近く、おじいちゃんが元気だったころ、ぼくとおじいちゃんは毎日のように、お散歩を楽しんでいました。ふたりのお散歩は、家の近くをのんびりと歩くだけのものでしたが、遠くの海や山を冒険するような楽しさに溢れていました。おじいちゃんと手をつないで歩いていると、ぼくの周りはどんどん広がっていきました。
でも、それだけ困ったことや怖いことにもたくさん出会うようになりました。ぼくは人間関係・事故や病気・将来などを思い不安にかられます。
だけどそのたびに、おじいちゃんが助けてくれました。おじいちゃんは、ぼくの手を握り『だいじょうぶ だいじょうぶ』とつぶやくのです。『だいじょうぶ だいじょうぶ』何度もその言葉をおじいちゃんはぼくに繰り返すのです。」
「だいじょうぶ」という言葉は不思議です。そして魅力的です。辞書でひけば「危険や心配がなく、安心できるさま。間違いなく確かなさま」とあります。
でもこの「だいじょうぶ」という言葉は、自分で自分に言い聞かせても、あまり大丈夫になれないのではないでしょうか?
2歳になる僕の娘はよく外で走っている時に転んで膝をすりむいたりします。その時は必死な声で「だいじょうぶ!だいじょうぶ!」と自分に言い聞かせるように泣き叫んでいます。その様子はちっとも大丈夫ではないのです。
また、聞いた話ですが人からしてもらう厚意を「大丈夫です」と断ったり、不安や大変なことに対して「だいじょうぶ」と自分に強く言い聞かせるようになった時は、少し疲れているから気を付けた方が良いそうです。
つまり「だいじょうぶ」というこの言葉は人から言われることにより、効果が大きいと思うのです。
この絵本では「だいじょうぶ だいじょうぶ」の後に、ある言葉が省略されているのではないかと僕は思うのです。
それは「おじいちゃんがついてるよ!」と言う言葉です。「だいじょうぶ!どんなことがあっても、おじいちゃんがそばにいるよ。おまえが辛いことや悲しいことはおじいちゃんだって悲しいし、おまえがキラキラと笑顔になるようなことは、おじいちゃんのよろこびだよ!」という想いが、そこにあるのです。
おじいちゃんがいつも一緒にいてくれて、いつも見てくれていて、まるで自分のことのように感じてくれていたからこそ、「ぼく」は大丈夫だったのです!絵本では男の子の側にはいつもおじいちゃんが寄り添っているように描かれています。
皆さんは今、不安を抱えていませんか?
先が見えない今、僕たちの社会、そして自分自身にはいつも不安が付きまとっているように感じます。縁ある方の手を握り、「だいじょうぶ だいじょうぶ」と言い合えたらと思います。きっと、少し気分がほっと楽になるでしょう。一歩踏み出す勇気が湧いてきます。
僕たちが「阿弥陀仏」と仰ぐ仏様は、目には見えませんが、「だいじょうぶだよ!私はどんなことがあっても、いつも一緒だよ!」と常に呼びかけて下さっているのです。僕は一人で生きているのではなくて、他のすべてのいのちと繋がり合ってあると「だいじょうぶ」と呼び、気付かせて下さっているのです。
また、それは僕たちがどんな状態であっても、たとえ絶望したとしても、どんなに大丈夫じゃなくっても、大丈夫。だってそんな僕たちの為に「大丈夫」となって下さったお方が阿弥陀さまで、間違いなく確かな存在として、いつも一緒に居て下さっているからです。
だから大丈夫じゃなくて、本当に良かったですね!
絵本はこんなふうに終わっていきます。
「ぼくがすっかり大きくなり、おじいちゃんは随分年をとります。絵本の最後にはベッドで目をつぶり横たわっているおじいちゃんに、今度はぼくがしっかり手を握って何度でも何度でも繰り返します。『だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうぶだよ おじいちゃん』と。」
「ぼくが赤ちゃんに近く、おじいちゃんが元気だったころ、ぼくとおじいちゃんは毎日のように、お散歩を楽しんでいました。ふたりのお散歩は、家の近くをのんびりと歩くだけのものでしたが、遠くの海や山を冒険するような楽しさに溢れていました。おじいちゃんと手をつないで歩いていると、ぼくの周りはどんどん広がっていきました。
でも、それだけ困ったことや怖いことにもたくさん出会うようになりました。ぼくは人間関係・事故や病気・将来などを思い不安にかられます。
だけどそのたびに、おじいちゃんが助けてくれました。おじいちゃんは、ぼくの手を握り『だいじょうぶ だいじょうぶ』とつぶやくのです。『だいじょうぶ だいじょうぶ』何度もその言葉をおじいちゃんはぼくに繰り返すのです。」
「だいじょうぶ」という言葉は不思議です。そして魅力的です。辞書でひけば「危険や心配がなく、安心できるさま。間違いなく確かなさま」とあります。
でもこの「だいじょうぶ」という言葉は、自分で自分に言い聞かせても、あまり大丈夫になれないのではないでしょうか?
2歳になる僕の娘はよく外で走っている時に転んで膝をすりむいたりします。その時は必死な声で「だいじょうぶ!だいじょうぶ!」と自分に言い聞かせるように泣き叫んでいます。その様子はちっとも大丈夫ではないのです。
また、聞いた話ですが人からしてもらう厚意を「大丈夫です」と断ったり、不安や大変なことに対して「だいじょうぶ」と自分に強く言い聞かせるようになった時は、少し疲れているから気を付けた方が良いそうです。
つまり「だいじょうぶ」というこの言葉は人から言われることにより、効果が大きいと思うのです。
この絵本では「だいじょうぶ だいじょうぶ」の後に、ある言葉が省略されているのではないかと僕は思うのです。
それは「おじいちゃんがついてるよ!」と言う言葉です。「だいじょうぶ!どんなことがあっても、おじいちゃんがそばにいるよ。おまえが辛いことや悲しいことはおじいちゃんだって悲しいし、おまえがキラキラと笑顔になるようなことは、おじいちゃんのよろこびだよ!」という想いが、そこにあるのです。
おじいちゃんがいつも一緒にいてくれて、いつも見てくれていて、まるで自分のことのように感じてくれていたからこそ、「ぼく」は大丈夫だったのです!絵本では男の子の側にはいつもおじいちゃんが寄り添っているように描かれています。
皆さんは今、不安を抱えていませんか?
先が見えない今、僕たちの社会、そして自分自身にはいつも不安が付きまとっているように感じます。縁ある方の手を握り、「だいじょうぶ だいじょうぶ」と言い合えたらと思います。きっと、少し気分がほっと楽になるでしょう。一歩踏み出す勇気が湧いてきます。
僕たちが「阿弥陀仏」と仰ぐ仏様は、目には見えませんが、「だいじょうぶだよ!私はどんなことがあっても、いつも一緒だよ!」と常に呼びかけて下さっているのです。僕は一人で生きているのではなくて、他のすべてのいのちと繋がり合ってあると「だいじょうぶ」と呼び、気付かせて下さっているのです。
また、それは僕たちがどんな状態であっても、たとえ絶望したとしても、どんなに大丈夫じゃなくっても、大丈夫。だってそんな僕たちの為に「大丈夫」となって下さったお方が阿弥陀さまで、間違いなく確かな存在として、いつも一緒に居て下さっているからです。
だから大丈夫じゃなくて、本当に良かったですね!
絵本はこんなふうに終わっていきます。
「ぼくがすっかり大きくなり、おじいちゃんは随分年をとります。絵本の最後にはベッドで目をつぶり横たわっているおじいちゃんに、今度はぼくがしっかり手を握って何度でも何度でも繰り返します。『だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうぶだよ おじいちゃん』と。」
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