夢の国とお寺

先日、久しぶりの休日をもらって、妻と二人でディズニーランドへ行ってまいりました。お天気にも恵まれ、二日間たっぷりと満喫してきたのですが、いやあ、改めて、ディズニーランドはすごいところですね。入場口を通ると、夢の国と呼ばれるだけあって、本当にそこは夢を現実化したかのような場所でした。


平日にもかかわらず、たくさんの人で賑わっており、心のそこから楽しんでいる様子や、スタッフの活き活きとした笑顔やテンションを見ておりましても、ここには悩みというものがないのではないかと思えるほどで、実際私も、ふわーっと、浮かれているような心持ちでした。しかしそういう状態が、ディズニーランドでは毎日続けられているんですよね。私が行ったのは二日間だけでしたが、それ以外の日、毎日同じようにディズニーランドでは夢のような空間が提供されている。しかも、季節ごとにイベントが変わったりお客さんを飽きさせない工夫が様々に為され、パレードやショーを見ても、クオリティが高くまた独創的なものが作りこまれている。そのように、人を楽しませるものを次々に想像し、そしてそれを形にしていく、ということは、大変エネルギーの要ることです。一体何が、ディズニーランドを突き動かしているんだろうか?そんなことを浮かれた頭の片隅で考えていました。


その夢の国から帰った後、彼岸寺主催の「未来の住職塾」に参加させていただきました。そのテキストを読んでいたときのこと、たまたまそこに、ディズニーランド(オリエンタルランド)の企業理念が載せられていました。それは「自由でみずみずしい発想を原動力に
素晴らしい夢と感動 ひととしての喜び そして安らぎを提供します」というものでした。たまたまディズニーランドへ行った直後でしたので、ああ、なるほどなあ、こういう理念がベースにあるからこそ、次々に人々を楽しませるものを生み出せているのかもしれない、と感じました。


そして同時に、お寺はどうなのだろう?ということが、自分への課題として持ち上がってきました。もちろんお寺は、ディズニーランドではありません。一時の夢の時間を提供する場ではなく、お寺は仏法を聞く場というのが第一義です。どちらかと言えば、厳しい現実に目を向けさせられる場であり、ディズニーランドとはある意味対極にある施設なのかもしれません。けれども、私たちに希望に満ちた夢のような時間を提供してくれる場が必要であると同時に、「私が老いる」「私が病になる」「私が死ぬ」、「愛しい人と別れなければならない」、「人生は思い通りにならない」というような見たくない現実から目を背けがちな私に、ピシャリ!と目を覚まさせてくれるものも、必要であるように思います。それが、お坊さんの、お寺の、仏教の役割の一つであるはずです。


しかしそれでも、果たしてお寺は、自分は、相手のことを想い、そこまでの信念や理念に基づいて活動してきていたのだろうか。独り善がりな想いを、人にぶつけてきたのではないだろうか。そんなことを考えずにはおれませんでした。お寺はディズニーランドのように夢や希望に満ちた楽しい場所ではないかもしれません。けれど、ディズニーランドの姿勢に学ぶべきところもきっとたくさんあるのだと思います。 
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