愛なんてロクなもんじゃない
- 2012年06月21日(木) 文:sakulla
- 仏声人語
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恐ろしく個人的なことだが、4年前の今日、私は結婚式をあげた。
というわけで、結婚4周年。
……奇跡だ。
4年も続いてる。
しかも、まだ110番にも119番にもお世話になっていない。
刃物も出てきてなければ、命に別状もない。
スゴイ、凄すぎる。
これを奇跡と呼ばずに何といえばいいのだろうか。
たかが結婚4周年にしては、ずいぶん物騒な物言いと思われるだろう。
だが、この平穏な日常に至るまでには、穏やかではない過去が土台にある。
そもそも、私の恋愛脳は壊死している。
というのも、私の恋愛の大前提にあることは、「相手が私を好きである」ということ。
つまり、相手の好意なくして、相手を好きになることはない。
凄まじく自分本位でワガママで女王様のような前提だが、自分から恋愛感情を抱いたことがないから仕方がない。
相手に対して好印象は抱くが、それ以上に発展させようという欲求は、「面倒くさい」とか「疲れる」という感情に勝てた試しがないままに結婚し、今に至る。
愛とは執着だ。
「一切苦悩を説くに愛を根本と為す」(『涅槃経』)とあるように、愛とは迷いや貧りの心の働きを生む根源である。
一般的な「愛」の意味合いとは少し異なるが、それは例えば、のどが渇いたときに水を欲しがるような本能的な欲望で、でも満たされることがないから苦悩を生む。
その苦悩の刃先は己だけなく、相手も傷つけ傷つけられる。
だから「面倒臭い」と心にストッパーをかけ、愛から逃げていたにも関わらず、押しに弱く流されやすい私は同じ轍を何度も踏み、穏やかではない過去が出来上がった。
そんな愛など捨ててしまえと、お釈迦さまは妻子を残して出家した。
それに反して、妻子と共に仏道を歩んだのが親鸞聖人だ。
捨てるべき執着を、あえて抱き続けながら生きられたその道の上に私はいる。
「僧侶の結婚は仏教の世俗化ではなく、世俗の仏教化である」という言葉を胸に、その第一歩を踏み出した日から4年。
仏教化どころか、相変わらず世俗の垢に塗れたままだが、結婚してもなお愛という執着の苦悩の刃が綻びないということを、同じ月日を共に過ごした旦那の愚痴を聞きながら改めて思い至る。
そんな甘い生活からは程遠く、すでに定年退職後の夫婦のような関係で、それでも時どき手をつないで歩む二人の道は、仏道以外にあり得ない。
無常の意味を良く知る私たちは、変わらないことは望まない。
だからこそ、笑い合い、傷つけ合いながら、それでも変わりゆくことを共に楽しめる関係を築き続けていくことが、細やかだけど幸せな世俗の仏教化なのではないかと静かに思う。
ちなみに、110番は相手の家に空き巣が入った時にお世話になり、119番は飲み会で痛風の発作を起こした人のために掛け、刃物は仲裁に入った友人たちの修羅場で持ち出された。
どれも旦那と知り合う前の話だが、付き合い出すと、自分や周囲で何らかのトラブルが必ず発生し、大騒動に発展するという穏やかでない過去の、これはほんの一部。
もっと物騒な想像をされた方は、どうぞご安心を。(笑)
あ、「命に別状がない」は……知らないほうが幸せなこともあるということで…。
ほんと、愛なんてロクなもんじゃないわ。
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