君と僕とアミダ様の法話12彼岸への道

ひどく暑かった夏も過ぎつつある。もうすぐお彼岸。
彼岸とは、サンスクリット語でパーラミーターと言い、「到彼岸(彼岸にいたる)」というのが正式な訳だ。
彼岸、それは、此の岸(娑婆・まよいの世界)から彼の岸(浄土・さとりの世界)へ到る道を、自ら確認する時ではないかと僕は味わっている。
そもそも仏教とは、「仏に成る」教えである。

とは言っても、自分自身、僧侶として、さとりへの道を日々歩んでいるか?仏道を励んでいるか?というとはなはだ心もとない。
いや、思ってはならないことを思い、してはならないことをしてしまおうとする。欲はつきない。善を行おうとしても、そこにどうしても自分の都合を思ってしまう。いや正直なところ、「仏様になる」という道を歩むという意識さえ普段なかなかないのだ。

あなたは今、どこにいて、どの道を、どこに向って歩いているのか?

そんな中、先日「ダーウィンが来た」というNHKの番組を見て、とても感動した。

育児を頑張るアフリカ蛙お父さんの、命がけの子育ての回で、僕も育メンを目指してるので気になって観ることにした。
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アフリカウシガエルはなぜか、基本的にお父さんカエルが単独で子どものオタマジャクシを育てるそうだ。
オタマジャクシがカエルになるまで1カ月。お父さんカエルのご苦労には頭が下がる。

孵ったオタマジャクシをエサの多い場所へ体を震わせながら誘導する。そして子どもたちを守るために一瞬たりとも油断できないのか、自分はまともな食事すらできない。

時には敵に出遭う。牛に出くわすこともある。でも子どもを踏みつけられる訳には行かない。その時お父さんは、自分の体重の千倍以上ある相手にも体当たりしていくのだ!

牛だけではない。ヘビにも挑む!その姿が泣ける。なんと、象にもだ!我が子の命を守るためなら、飛びかからざるを得ないのだ。

しかし、お父さんが守らないといけないのは、他の動物からだけではないのだ。

オタマジャクシを浅い水たまりで育てるのだが、それには訳がある。水たまりが浅いと日光を良く受け、オタマジャクシが早く成長するからだ。でも同時に水たまりは、雨が降らないとどんどん浅くなる。干上がると、オタマジャクシは死んでしまうのだ。

ここでお父さんはどうするか?立ち上がる。そして、ピョンピョン遠くのより広い水たまりまで飛んでいき、なんと、お父さんは自分の体全体を使って、水路を切り拓く。足で土を掘り、水を流すために。10メートル以上も。
日差しが強く、自分の体に限界が来ても、動きが鈍くなってしまっても、お父さんは決してあきらめない。
自分の命の限界ギリギリの所で、水を子どものオタマジャクシの所まで引いた時には、僕もつい「おお!!」と声をあげてしまった。
オタマジャクシの子どもたちもピチピチと嬉しそうで、お父さんカエルと一緒に泳いでいく。

僕はアフリカウシガエルのお父さんを子育ての師匠と呼びたい。僕は命がけで我が子を守ってやれるだろうかと自らに問うた。

同時に、自分が子どもオタマジャクシの立場であったらどうだろうか?どんなにお父さんカエルが頑張っても、その測り知れない御苦労は分からないと思う。オタマジャクシは、ただ「お父さんが、水を運んでくれるのはあたりまえだ」と思うだけだろう。


アミダ様は今、僕のもとに、道を届けて下さっている。それはアミダ様の側から切り拓いて下さった道だ。遥かな時をかけて、ご苦労にご苦労を重ねられて今、「南無阿弥陀仏」というお念仏の道として届けて下さってある。

それは、僕たちをさとりの彼岸へ到らせるための道だ。極楽浄土へ生まれゆく道といって良い。僕はこのいのち、今どこにいて、どこに向かい、どうなるのか分からない。オタマジャクシのように無知で無力だ。

しかし、そんな僕の為に、自分の力では歩むことのできない道を、アミダ様の側が、今ここにご用意下さっている。そして、その上にアミダ様は、お父さんカエルのように、僕と一緒に歩んで下さっているのだ。

今、南無阿弥陀仏とお念仏申しているのは決して当たり前のことではなかった。アミダ様のご苦労の賜物だった。そのことに気づかされた時、僕はこの人生を精一杯生きていきたいと思った。
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