遠い日の温もり


小さい頃、2Kの空間に家族4人で暮らしていた。

夜になると、タンスに囲まれた6畳間に布団を敷き詰め、4人並んで眠っていた。
怖い夢を見たと泣いて起きると、横から慰める手が伸びてきて。
お腹が痛いと呟くと、横で飛び起きる音がして、心配する声が聞こえてきた。

私の記憶の始まりは、狭い部屋で身を寄せ合って暮らしていた光景であり、その温かな思い出は、私という人間の基盤ともなっている。

今更だが、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のDVDを見た

昭和33、34年がどんな時代だったのか。
正直よく分からないし、観ても実感など湧いてはこない。
けど、あの子供たちは後に団塊の世代と呼ばれている、私の両親の分身であり。
あの親たちは、戦中戦後の混乱を生き抜いてきた、祖父母の分身でもあったはずだ。

家族が身を寄せ合って生きてゆけることの幸せが、そこにはあった。

ほんの10数年前は、そんな当たり前のことが、戦争という脅威によって、当たり前にはさせてはくれなかった。
ほのぼのと見える登場人物たちの、見えざる背景を思うと、たとえ錯覚だと分かっていても、当たり前と思えることの幸せを、改めて噛み締める。

そして、貧しくとも一緒に生きたいと思える人がいるという幸せが、そこにはあった。

私の父は兼業僧侶で、週の6日は外に出勤し、日曜は法事で本堂の内陣に出勤していた。
休みなく働く父親の姿を見ながら育った私は、自分の家が貧しいとは思うことはなかったけど、裕福と感じたことは一度もなかった。

だから、お寺は金持ちという偏見が、とてもとても痛かった。

そのころは、私立の中学に進学するためには、家にグランドピアノと12段の雛飾りがあるくらいお金持ちでなければ無理なんだと信じていた。
うちにはどちらもないからと、公立にしか進めないと思っていたし、工業団地に囲まれた小学校に通っていたせいか、同級生もまたそう信じていた。

みんな裕福とはいえなくて、余裕があるともいえなくて。
それでも、ゲームやオモチャが買い与えられない代わりに、日が暮れるまで想像力と創造力を駆使した遊びに没頭していた。

だからだろうか。
存在しえなかった時代の光景が、懐かしい記憶と交差して、憧憬の眼差しで映画を観ていた。

【懐かしい】という漢字は、零れる涙を衣で隠すという会意であり、胸の中に大切にしている思いという意味がある。

懐に仕舞い込んでいるのは、お金だけではない。

お金さえあればと思うこともあるだろう。
それでも、心の中にあるお金では買うことのできない大切なものが、私を今まで育ててくれて。
その大切なものを思うと、温もりに涙が出そうなほど幸せな気持ちになることもある。

いつまでも続くと思っていた日常が、いつまでも続くことはない。
変わりゆくということが常であることを知った今だからこそ、変わらぬ日常を信じていたころが、輝かしく思えるのかもしれない。

「お金より大切なものがある」

生活を切り詰めながら、身を寄せ合って暮らしていたあのころの記憶が、心の中にある限り。
私は一生、大切なものを見失わずにいられるかもしれないと思って、なんとなく温かな気持ちが込み上げてきた。

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