存在という時間
- 2012年10月03日(水) 文:kensho
- 仏声人語
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私、個人的にも思うが結構多趣味な方だと思う。
野球に読書に映画に音楽鑑賞等々。
一日フリーな時間があれば、たっぷり楽しめるだけのコンテンツは持ち合わせている自信がある。
その中でも高校時代の頃から、取り分け写真を撮ることに惹かれていった。
きっかけは父から貰ったASAHI PENTAX ES=2という一眼レフカメラ。
当時は今のようにデジタルカメラではなく、専ら35mmフィルムカメラ。
食いつきは結構単純で、シャッター音が心地よかったから。
「カシャーン、カシャーン」というあのフィルムカメラ独特の音。
大学に入ってバイトをすると決めた時も写真関係の職しか考えがなく、自然と写真屋さんでバイトをした。
しかも週5勤務というハイペースで、もちろん勉強もそっちのけ。
結局3年勤めさせてもらって、かなり充実した大学生活だった(笑)
写真は、日頃の風景、人物あらゆる物を一瞬だけ撮り写すことが出来る。
言い方を変えれば、日常を一瞬だけ捉える非日常空間演出。
写真は、私たちが「有る」と認識したものを撮っているかと錯覚しているがそうではない。
仏教では「あらゆる存在が網の目のように繋がり依存しあって一時的に成立しているので、絶対なる存在はない」と考える。
つまり、すべては一時的な現象であって、変化し続ける、実体のないものだ、という。
そのように認識することによって苦悩を解決しようとすることに仏教の特徴がある。
一瞬を切り取られた写真から、私が無関係な存在でなく、すべての写っている写真が関わりのある存在だと思うと、あらゆる写真が結構魅力的に見えるかもしない。
そう、ここに写っている子は私の次女で、皆さんとは関わりのない子だと思っている方が多いと思うが、実は関わりあっているんです、よ。
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