Happy? or Not?
- 2012年12月17日(月) 文:kenyou
- 仏声人語
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いきなりですが、ちょっと心理テストをしてみましょう。

ここに1枚の絵があります。この絵の真ん中にいる人は、幸せに見えるでしょうか?深読みせず、思ったとおりに答えを考えてください。
次にもう一枚の絵を見てください。こちらの絵の真ん中にいる人は、幸せに見えるでしょうか?

では答え合わせをしてみましょう。問題になるのは2枚目の絵。この絵を「幸せそう」と感じたか、「幸せそうとは言えない」と感じたかがポイントです。もし2枚目の絵を「幸せそう」と感じた方は、西洋的な思考の持ち主です。逆に、「幸せそうではない」と感じた方は東洋的な考え方をする人だそうです。
どうしてこのような違いが出るのか、ということですが、2枚の絵を見比べてみると違いが見えてきます。一枚目の絵では、真ん中の人だけでなく、周りの人達も笑顔です。これはおそらくほとんどの人が、中心の人は「幸せそう」と感じたことと思います。では2枚目の絵はどうでしょう。真ん中の人は笑顔です。ところが、その周囲の人はなんとなく不満気で、嬉しそうな表情ではありません。もし、この中心の人だけにスポットを当てたならば、この人は笑顔ですから、「幸せそう」なのかもしれません。けれども、その周囲の人まで見回してみると、周りの人が不愉快そうな中で笑っているこの人は本当に「幸せ」なのだろうか、と感じるのではないでしょうか。
実はこの二つの見方に、西洋的な物の見方と、東洋的な物の見方の違いがあるそうです。西洋的な物の見方では、「この真ん中の人は幸せそうか?」と問われると、その人だけを見て答えるそうです。東洋的な物の見方では、中心の人だけでなく、周りの人の状況も見て判断するのだとか。それによって、答え方が変わってくるのです。皆さんは、どのように見られたでしょうか。
さて、仏教ではどちらの考え方をするのでしょうか。仏教は「縁起」を説く教えです。「これある故に彼あり これ起こる故に彼起こる これ無き故に彼無く これ滅する故に彼滅す」という言葉があるように、物事は全て相互に因となり縁となり、互いに関係し合いながら存在する、ということです。ですから、真ん中の人だけが笑顔であっても、周りの人が不愉快な思いをしていれば、この人は幸せであるということは、言えないのだと思います。
逆に言えば、仏教が考える「幸せ」ということは、人一人のことだけを見つめるものだけではない、ということかもしれません。真ん中の人だけでなく、その周りの人も笑顔であって初めて、「幸せ」という状況となる。そしてもっと言えば、この絵の外、ここには見えていない人も笑顔であって欲しいと願うのが、仏教の心、「慈悲」という心なのではないでしょうか。そしてこの絵にあるような枠を一切取り払って、極大まで笑顔を願う範囲を広げてくださる仏さまが、阿弥陀仏という仏さまであると思います。
では今の日本の状況はどうなのでしょうか。ひょっとすると2枚目の絵のように、真ん中の人だけが笑顔でいる状態も「幸せ」とする人も増えてきているように感じられます。それはつまり、自分さえよければ他の人はどうなろうが知らない、という価値観に染まりつつあるのかもしれません。競争が激化する時代にあっては、それも仕方ないのでしょう。けれど、みんながみんなそのような考え方をすれば、いつか私もあなたも、他の人の笑顔の犠牲になる時がやってきます。そうならないために努力をするのも良いかもしれません。でももっといい方法は、みんなが笑顔になれるような価値観を、みんなで共有していくことなのではないでしょうか。
先日衆議院の選挙が行われました。「美しい国、日本」と言うテーマを掲げていた党が与党になりましたね。本当に「美しい国」ということは、どういうことなのでしょう。一部の人が笑顔で、多くの人が辛い顔をしている国のことなのでしょうか?そうではありませんよね。自分だけのことを考えるのではなく、周りの人も笑顔になれるようにしていけるような国こそ、本当に「美しい国」であるのだと、私は思います。どうか、自分の幸せのためにほかはどうなっても良い、というような国家運営をされないことを、願うばかりです。
さて、いよいよ今週末はメリシャカLIVEですね。みんなが笑顔になれるような未来へ向けて、いっしょに「未来」について考えましょう!
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