恩師の言葉

先月、中学校の同窓会があった。

前回の同窓会は20歳のとき。
あれから14年、みんな仕事して結婚して子供がいて、生活も環境も外見も、過ぎていった時間の流れを感じさせる変化が、誰の上にも見ることができた。
だが、どことなく変わらないものもあって、懐かしく思っていた中学時代が一気に身近になったから面映い。

当時の私は扱いにくい性格の子供だった自覚がある。
正直、面倒な生徒だったと思う。
今でも面倒な女と言われるくらいだから間違いない。

そんな私を、先生が覚えていたということが何よりの僥倖であったと、同窓会を振り返る。
 
 
会場で私を見つけた先生は隣に座られ、今どうしているのかと近況を尋ねてこられた。
先生は私の家が寺であることも、次女であることも覚えていた。
その上で、お婿さんを迎えて、寺を継ぐ立場にあることを伝えると、先生はこう語りかけてきた。

「お前自身が個人的に思うことはあるだろうけど、これまでお前の寺がどれだけ多くの人たちを救ってきたのか、どれだけ多くの人たちの支えになってきたのか、その歴史を大切にしていかないといけない。
その歴史に支えられて今のお前があることを忘れちゃいけないよ。」

たぶん、お坊さんではない人から、初めてこういうことを言われたからかもしれない。
何かに打たれたような衝撃が走った……そんな言葉だった。

個人的に思うことは、いろいろあった。
いろいろあって、今がある。
だが今の私は、そういう個人的な思いを越えて私のところまで届いたご縁を、先へと繋いでいく立場にあるということへの自覚と感謝がある。

以前なら、ただイラつくだけの言葉だったはずなのに、気づけば素直に頷いていた。
その瞬間、機が熟したのだと思った。

中学生のときも、先生からは多くの有り難い言葉をいただいていたのだろうが、それは必ずしも私の心に届いていたわけではなかった。

中学を卒業してから19年。
きっと、先生の言葉が私に届くには、19年の歳月が必要だったのだと思った。
19年の間にあった様々な出会いや経験があったからこそ、先生の言葉に素直に頷くことができたのだと思った。
そして、19年後の先生に出会い、その言葉に気負うことなく頷けるようになるために、中学時代の私がいたのではないかと思った。

無駄なことなど何もない。
すべては何かと繋がっている。
その「何か」に気づいた瞬間に、仏縁の華は咲く。
 
明日はメリシャカライブだ。
このライブが、仏縁の華が咲く場となることを願い、そしていつか咲く仏縁の華の種を植える場となることを願っている。

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