観ずること
- 2013年01月05日(土) 文:kensho
- 仏声人語
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お念仏とともに新年を迎えました。
皆様、本年もどうぞよろしくお願いします。
私事になりますが、今年のお正月は実に11年ぶりに実家で過ごしました。
大学4回生以来ということで、その時の環境とはずいぶん変わり、私も結婚し子どもも二人授かり、そして弟も昨年結婚しましたので、弟夫婦も帰省した中で大変賑やかなお正月となりました。

さて、昨年の12月、前職の関係で久々に東京に行って参りました。
東京に行く事なんて滅多にありませんので、これを機に念願のスカイツリーにも登ってきました。
登ってみて、なんと驚くべき事に気付かされました。
実に9年半もの間東京に住んでいましたが、これまで何とも思わなかった事に気付いてしまったのです。
それは、、、、「東京は鉄筋の建物ばかり」
な〜んだと思われるかもしれませんが、これが実に強烈に目に入ってきたのです。
私の田舎はほぼ木造の建物ばかりですから、しばらくその環境に身を置いて大都会東京へ行くと、肌身に感ずるほど鉄筋の建物に反応しました。
長年生活をしていた訳ですが、もう大分東京を知った気分で広島に帰っていました。
その地に身を置くと、見えている物が絶対で当たり前の価値観になっていることを、このたび東京に行き客観的に見る事ができました。
では、この「私」を客観的に見る事は出来ているでしょうか。
仏教には「止観」という教えが『維摩経』というお経に出てきます。
「止」とは心の動きを静めること、「観」とは自分の心の動きを客観的に見つめること、です。
私たちは自分の都合で物事を見る(原因)ことから苦悩(果)の人生を歩んでいます。
自分を客観視(観)することで、とらわれない精神を養います。
例えば、遠距離恋愛をしている若者は彼女に会えないことが辛いのではなくて、そもそも「その会いたい思いが強い」という、その苦悩のメカニズムを知ることにより、心が少しでも暴れなくなります。
ですからこの止観は、物事の原因を静かに見つめ、苦しみを無くすのではなくて、引き受けていく苦悩と付き合っていく教えなのです。
その結果、少しでも「自分の欲望にとらわれない」(空の教え)仏道を日頃の生活で歩むことが出来るのです。
今年も仏教に生きる生活を送っていきましょう。





