STAND ALONE COMPLEX:スタンド・アローン・コンプレックス

新年が明けて、個人的に嬉しいニュースが飛び込んできました。「攻殻機動隊」の新作映画の制作が決定したそうです。大好きな作品なだけに今から楽しみでなりません。あまりに楽しみで、過去に見た作品をいろいろ思い出していろんな妄想をしてしまいました。


私が個人的に特に好きなのは「STAND ALONE COMPLEX」というシリーズ。詳しい内容は実際にDVDなどで見てもらうと良いと思うので詳細は省きますが、この「攻殻機動隊」という物語は今から20年ほど先の近未来を舞台にしており、パソコンやスマホなどを使わなくても、脳にチップを埋め込み直接ネットにアクセスできる「電脳」という技術が確立しているという設定です。ですから、現代よりもさらにネットにアクセスしやすい社会となっており、そのような社会の中で、ある人の持つ特定の意思が集団の意思となっていく現象として、「スタンド・アローン・コンプレックス」という言葉が使われています。


しかし、私がこの「スタンド・アローン・コンプレックス」という言葉を初めて聞いたとき、一番初めにイメージしたことは、「縁起」ということでした。「縁起」とは「縁りて起こる」ということ。「私」という存在は独立した個体でありながら、その「個」という存在は、様々な関係性の中において成り立つのであり、私もまた誰かの存在を支える関係性の一部である、というような考え方です。そして「スタンド・アローン・コンプレックス」という言葉を考えてみますと、「スタンド・アローン」とは、「私」のような独立した個体を指します。そして「コンプレックス」とは複合体、つまり「個」の複合体によって「私」は支えられて存在している。そんな風に読み解きますと、「スタンド・アローン・コンプレックス」とは「縁起」のことを言っているようにも感じられるのではないでしょうか。


そして「縁起」というのは、お釈迦さまの悟りの内容の一つです。「私」という個人は、実は私自身という確固たる揺るぎ無い不変の存在として在るのではなく、様々な環境・条件によって千変万化する存在である、とお釈迦さまは見て行かれました。ですから、「間違いない私」という存在にとらわれるのは誤った認識、執着であるとされ、「諸法無我」という真理に到達されます。「私」という「自己」への「とらわれ」から離れられたということです。「私」から離れたということは「自他一如」=私もあなたもないという境地と言い換えてもいいかもしれません。私もあなたも「スタンド・アローン」ではあるけれど、実はその垣根は自らが作り出した誤った認識に過ぎないのであって、実は互いに深く関わり合い、切っても切れない存在であるという境地に、お釈迦さまは立たれたのです。


作中の「スタンド・アローン・コンプレックス」は、「個」の意思が集団の意思となり、それによって別の「個」が飲み込まれていく現象を表しています。対して「縁起」の思想は、様々な「個」同士の関係によって「個」が成り立つからこそ、絶対不変の「個」というものは存在せず、「自他一如」というところに帰結します。一見すると、真逆のようなことを言っているようにも感じられますが、「個」を肯定的な物として見るならば、「スタンド・アローン・コンプレックス」によって、「没個性化」していくことは避けるべき現象でありましょう。しかし「個」というものが、苦しみの原因となる、離れるべき執着であると見るならば、「個」を離れていく「自他一如」の境地もまた「スタンド・アローン・コンプレックス」と表現することもできるのかもしれません。


おっと…どうやら新しい「攻殻機動隊」が楽しみすぎて、ついつい妄想が暴走してしまいました。「攻殻機動隊」自体は仏教的な作品というわけではありませんし、長々と書いたことに矛盾する部分もあるかもしれません。でもたまには、こんな妄想をしてみるのも楽しいものですね。 
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