3月11日を迎えて
- 2013年03月11日(月) 文:チスイ
- 仏声人語
- comments(0)
東日本大震災から2年が経ちました。皆さまはどこで、どのように迎えられたでしょうか?
メリシャカメンバーそれぞれが、一言ずつ想いを寄せました。
(写真洗浄ボランティア)
「学仏大悲心」という言葉があります。仏さまの「慈悲」の心を学ばせていただくという言葉。私はこれを「浄土真宗を学ぶこと」だと理解していました。けれど、そうではないのかもしれません。学ぶとは真似ぶこと。仏さまのお慈悲に包まれた私が、仏さまのお慈悲を真似させていただく。もちろん、それを100%成し遂げることは出来ないことでありましょう。けれど、自分に出来ることを一つ、一つ、広げてゆくことも大切な事であるはずです。
東日本大震災から2年。まだまだ何一つ出来ていない私ですが、仏さまの慈悲の心を少しでも真似させていただけるよう、沢山の悲しい出来事を経験された方のことを思い、原発の問題、私の生活の在り方も含めてしっかりと向きあっていかねばならないと改めて感じています。
震災被害にあわれた全ての方に。
南無阿弥陀仏
ケンユウ
復興とは?絆とは?支援とは?寄り添うとは?再建とは?避難とは?放射能とは?原子力とは?
答えは何もわからなくて、どれが正しいともわからなくて、わからないまま、たくさんの人に出会いました。
でも、ただ一つわかったことは「あなたに出会えてよかった」という関係性は、いつからでもどこにいても、どんな状況からでも作ることができるということ。そして、その言葉はお互い様の作用として、心をほんのりとあたたかくし、力強くするのだ、ということ。
失われた日常を、新たに作り直して行くのは、その心の積み重ねなのかもしれないと思います。
今日から始まる三年目に、私にも皆様にも、ひとつでも多くの「あなたに出会えてよかった」が訪れますように。
るる
移りゆく毎日の中で、節々に震災のことを思い出します。「悲しみは時が解決してくれる」その言葉が当てはまらない現実を知った出来事でした。
何が自分にできるのか、はたまたできないのか。山口に住む自分にとっては葛藤の日々です。ありのままのことを知り、そのことを「忘れない」。そこが自分の出発点な気がします。
キッスィ
3歳の娘は「花は咲く」の歌をよく歌っています。
復興支援のこの歌について、作詞された岩井俊二さんは「この歌は震災で亡くなった方の目線で作りました」と言われています。
そう聞かせて頂きますと、とても印象的な歌詞があります。
「私は何を残しただろう」というところです。
日々を目先の利益に振り回されて生活している僕自身の在り方を、この歌は、そして被災地の現実は問うているのではないでしょうか?
「私は何を残しただろう」という、声なき声を大切に、残して下さった問いを大切に、これから自分にできることをしていきたいと思います。
南無阿弥陀仏
チスイ
昨年、石巻で地域の祭りを地元の方々と一緒に準備させていただく縁がありました。祭りも終盤に差し迫ったとき「みんな明るいでしょう、家流された人間とはとても思えないでしょう」と笑いながら仰られた言葉が、忘れられません。笑顔の奥に隠した涙があること、復興という言葉の陰に、ぬぐいきれない不安、厳しい現状があることを忘れてはならないと感じました。あの時ごちそうになった手作りカレーと焼きそばは最高でした。
シュウ
私は震災以降、何度も福島県を中心にボランティアとして足を運びました。写真洗浄や傾聴ボランティア、炊き出しなど悲しみに打ち拉がれた被災者の声なき声に耳をそばだてていました。しかし思いました。私は寄り添っているつもりでボランティアの活動をしていましたが、実はそうではなかったということに。本当には寄り添えない。なかなか寄り添うことが出来ないことへの「痛み」から発する行いであったのです。その「痛み」を大切にすることが真の寄り添いへの一歩かもしれません。南無阿弥陀仏。
ケンショウ





