りこうな桜んぼ
- 2013年03月15日(金) 文:uritomo
- 仏声人語
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ほんのすぐそこまで春が近づいている今日この頃、偶然にも金子みすずさんの春な詩と出遇いました。
『とてもりこうな桜んぼ』
とてもりこうな桜んぼ、ある日、葉かげで考える。
待てよ、私はまだ青い、行儀のわるい鳥の子が、
つつきゃ、ぽんぽが痛くなる、
かくれてるのが親切だ。
そこで、かくれた、葉の裏だ、
鳥も見ないが、お日さまも、
みつけないから、染め残す。
やがて熟れたが、桜んぼ、またも葉かげで考える。
待てよ、私を育てたは、この木で、この木を育てたは、
あの年とったがお百姓だ、鳥にとられちゃなるまいぞ。
そこで、お百姓、籠をもって、取りに来たのに、桜んぼ、
かくれてたので採り残す。
やがて子供が二人来た、そこでまたまた考える。
待てよ、子供は二人いる、それに私はただ一つ、
けんかさせてはなるまいぞ、落ちない事が親切だ。
そこで、落ちたは夜夜中、
黒い巨きな靴が来て、
りこうな桜んぼを踏みつけた。
なんだか、読み終わった後に少し切ない気持ちを私は感じました。
「なんてひどい黒い靴なんだ、そしてなんてけなげなさくらんぼなんだ」と思いました。
しかし、自分ごとに置き換えてみると、日頃沢山の人の支えの中で生かされているはずなのに、沢山の人の想いを知らずに踏みつけてしまっているような自分の姿がそこにあるような気がしました。
仏教を学ばせていただいて最近気づくことは、自己が知らされるということです。
それは、見たくもない自分勝手な自分であったり、自分の姿すら見れていない自分の姿であったり、そしてそんな私をも支えて下さるまわりのお陰で生かされている自己の姿であったり。
そんなことを考えさせられた一遍の詩でした。
どうか今日も良い一日をそれぞれに過ごされます様に・・・・
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