生きるはて

ケンユウさんのおめでたいご報告に便乗するようだが、先の21日に私は5回目の結婚記念日を無事迎えることができた。

思い返せば、結婚1年目にして息子が誕生し、新婚生活を満喫する間もなく、親としての責任を自覚する生活が始まった。
それは夫婦の絆が芽生えるより先に、互いを親として意識し合い、息子を中心に結束を深めていく日々でもあった。

寄り添って生きていく相手というよりも、息子の父親という視点で私が夫を見ていることに、随分早い段階から気がついていた。

永遠の愛を誓ったわけではないけれど、それでも一生添い遂げて、互いを看取る覚悟の上での結婚だったはずなのに。
今では相手に抱く思いが愛なのか情なのか、違いが時々分からなくなることがある。
 

 
こうして夫婦の関係について何度も迷子になるのだが、そんな時に思い出すのは決まって友人の披露宴の祝辞で述べられた、ある僧侶の言葉である。


一生とは生涯とも言います。
漢字の通り、生きるということは、いつ涯(は)てとなるか分からないということです。
それは一歩先に崖があるようなもので、ちょっと押せば崖から真っ逆さまに落ちてしまいます。
それを後ろで繋ぎとめているのがご縁です。
これからは、今までの縁に加えて、新郎新婦が互いの縁で、互いを繋ぎとめていってください。
多くの人の中から、たった一つのかけがえのない縁で結ばれた御二人の、お幸せを願っています。


この言葉を聞いたとき、私はまだ独身だった。
いつか使えるとメモっておいたのだが、そのときの私は自分に一番使うことになるとは思ってもいなかっただろう。

多くの人の中から、たった一つのかけがえのないご縁で結ばれた相手を、私は繋ぎ止められているのだろうか。
相手を父親としてみると、ついつい点が辛くなってしまっていて、そんな私を繋ぎ止めてくれている夫の優しさに気づけなくなっていることを反省する。

出会ったこと後悔することもあった。
でもそれより少しだけ感謝することのほうが多かったはず。(笑)

だからこそ。
崖から落ちるその日まで、互いの手を離さずに。
崖から落ちたその後も、互いの縁は繋がったままだから。




……なにこれ、公開ラブレター?(爆)
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