遠くを観る
- 2013年09月10日(火) 文:kenyou
- 仏声人語
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メリシャカLIVEのFacebookページが開設されました!そして今年のメリシャカLIVEの開催も決定!去年までは西本願寺聞法会館を会場にしておりましたが、今年は記念すべき5回目ということで、大阪・相愛大学で行われることとなりました。相愛大学が誇る本格的な音楽ホールでどんなライブが繰り広げられるのか、今からとても楽しみです。気になる出演アーティストは10月1日発表。もうしばらくお待ち下さいませ。
さて、そんなメリシャカLIVE。前回はどんなイベントだったかご存知でしょうか。去年はASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文さんをお招きし、ライブはもちろん、釈徹宗さんと、松本紹圭さんの二人のお坊さんと、「think future - 仏教と、音楽と、」をテーマに鼎談を行いました。その中で「お布施」ということについての語り合いが為されたのですが、なんと、そのご縁が発展して、後藤さんが作っておられるフリーペーパー「The Future Times」で再び後藤さんと釈さん、そして内田樹さんの鼎談が実現。「贈与とお布施とグローバリズム資本主義」というテーマで語られています。WEBでも読めますし、とても示唆に富んだ内容となっています。
私はこの鼎談を読んで、内田さんや釈先生のおっしゃっる思考の射程が時間的・空間的に短くなってきてしまっている、ということに大変共感を覚えました。私自身もそうなのですが、社会全体の時間間隔が狭まり、今さえ良ければ、自分さえ良ければという、狭い視野でしか物事を考えることが出来ず、それによって「未来」がどうなるか、想像しようとしないということは、本当にそうであると感じました。
そして『仏説観無量寿経』というお経の中にあるこんな一節を思い出しました。
「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣(しんそうるいれつ)にして未だ天眼を得ず、遠く観ることあたわず」
この言葉は、お釈迦様が韋提希という一国の王妃に対しておっしゃられた言葉で、「あなたは心が弱く劣っており、天眼という、遠くを観る力を持たない〈凡夫(ぼんぶ)〉である」という意味です。ここに遠くを観る力、「天眼」というものが出てまいりますが、この「遠く」にはいろいろな意味があります。一つは物理的な視力、どこまで遠く見渡せるかということであり、もう一つは仏の世界「浄土」を観るということ。あるいは真実を見通す、さとりを得る、という意味にも受け取れます。そして「天眼」とはさとりを開いた者の得ることができる力であり、衆生の未来を見通す力でもあります。それはつまり、自分の行いが、どのような結果に繋がるのかということを、正しく見つめることができる眼差しでもあるのではないでしょうか。今さえ良ければ、自分さえ良ければという時間的にも空間的にも狭い物の見方をするのではなくて、長期的に行為の結果を正しく想像することができる。それがさとりの眼差し、仏の眼差しということなのでしょう。
もちろん、私自身が行為の結果を100%正しく見つめることはできません。けれども私の物の見方は、今の自分さえ良ければという狭く自分勝手なものになっていないか、折にふれて注意することはできるはずです。そして仏さまの眼差しに学び、行動を急がず、一歩立ち止まり、そして自分の行いがもたらす結果をちょっと想像してみる。日々の生活の中にそんなことを意識することも大切であると、この鼎談を通して感じました。
皆さまにもこの鼎談を是非読んでいただいて、そしていろんなことを感じて貰えたらと思います。
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