変わってもいいんだ
- 2014年01月07日(火) 文:kensho
- 仏声人語
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ケンショウです。
かな〜り久しぶりの投稿になります。
実は私、昨年の4月から9月まで京都にある西本願寺近くの伝道院というところで勉強に励んでおりました。
伝道院とは何ぞや?ですが、浄土真宗本願寺派の布教使を志す人たちの教育機関です。
布教使とは、ご本尊である阿弥陀如来様の救いのはたらきを「やさしく、たのしく、有り難く」お話する使いの者です。
ですから、布教師ではなく使いの布教使と書きます。
それはさておき、半年間という短い間でしたが学生時代以来の京都での生活を送りました。
実に10年ぶりの京都生活。
休日に繁華街である四条河原町を歩いてみました。
するとたった10年ですが、街のお店が様変わりしていたことにビックリ!!
浦島太郎ってこんな感じなのかなあと思ったり。
たかが10年、されど10年。
時代の移り変わりは早いなあと感じざるを得ませんでした。
毎朝、毎朝、眠い目をこすりながら行くのですが、本堂に入るとピシーっと張りつめた空気の中、眠気も吹っ飛びます。
私は半年間という短い間ですが毎朝お参りさせて頂きました。
しかし、西本願寺の朝のお勤めは半年どころではなく、何十年、いや何百年と続いてきたお勤めです。
そして西本願寺の伽藍も、うん百年と変わらぬ佇まいをしています。
うちの娘がヨシモト新喜劇を見るようになりました。
お決まりのギャグに大笑いします。
でもあのギャクってほとんどの人がオチを分かっていますよね。
なぜあんなに大笑いするんでしょうか。
それは変わらないオチであるからこそ笑い、笑う事で安心しているんだと思います。
ある日突然、お決まりのところで違うギャクをしたら多分笑いは取れないでしょうね 笑。
しかし残念ながらお笑いは生死を貫く安心ではありません。
阿弥陀様のすくいは、生死を超える安心です。
私たちは自らの変わっていく姿を拒絶します。
しかし変わり詰めに変わっても、変わらないはたらきで私を救いとって下さいます。
変わらない不変の如来様のはたらきに出遇う事で初めて、安心して変わっていける私の姿に出会えるのではないでしょうか。
決して見捨てない如来様とご一緒の人生は、安心して悲しみ、安心して悩むことが出来ます。
み教えを聞く事が出来るお寺は皆さんのすぐ近くにあります。
そのお寺はどんな時代になっても変わらない教えをお聞かせ頂けます。
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