家庭の味と南無阿弥陀仏
- 2014年01月11日(土) 文:kenyou
- 仏声人語
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、年末のことですが、紅白歌合戦で「あまちゃん」が一夜限りの復活をしました。あまちゃんファンには嬉しい演出で、思わず胸が熱くなったのは私だけではないのではないでしょうか。未だに「あまロス」を引きずっているのか、と思われるかもしれませんが、現在NHKで放送されている朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」も日々楽しく見ています。
さて、年末のことですが、紅白歌合戦で「あまちゃん」が一夜限りの復活をしました。あまちゃんファンには嬉しい演出で、思わず胸が熱くなったのは私だけではないのではないでしょうか。未だに「あまロス」を引きずっているのか、と思われるかもしれませんが、現在NHKで放送されている朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」も日々楽しく見ています。
この「ごちそうさん」では料理や食卓の風景が描かれるシーンがとても多く、ドラマの中で食事が重要な鍵を握っています。先日の放送でも、主人公め以子の娘、ふくが「おいしい」ということに初めて気づくというシーンが印象的でした。このドラマに描かれる家族の風景を見ていてふと感じたのは、「ああ、私もまた母の作る料理によって育てられてきたんだなあ」ということ。それは文字通り小さい頃から食事をいただいて身体が成長したこともそうですし、母の作る料理を味わい続けることで味を覚えてきたということについても言えることだと思います。言い換えれば、母の味によって私の食べることに関する基準が育てられてきた、ということです。
今の私たちの環境を見回すと、食事はとても簡単にできるようになっています。ファストフードやコンビニなど、安くて手軽に食事を摂ることができますから、ただ単に生命を維持し、身体を成長させるのであれば、これらの食事であっても事足りるでしょう。けれど、これだけではなにかが足りないように感じられます。それはその食事に込められた想いです。親が子どもに作る料理には、いろいろな想いが込められていることでしょう。栄養のバランスが偏らないよう、身体がキチンと成長できるようにという想いや、できるだけ美味しく、食べることも楽しんでもらえるようにという想いなど、いろんな工夫や愛情が毎度毎度の料理に込められている。家庭の味というものは、ただ生命を維持し成長を助けるだけでなく、人間が人間らしく育つために必要な全てが込められているものなのかもしれません。
「南無阿弥陀仏」という六字の言葉も、私はこの家庭の味と同じようなものであるのかもしれないと感じました。この六字は、ただの言葉かもしれません。けれどこの言葉は阿弥陀仏という仏さまによって用意された言葉です。私たちの口に合うように仕立てられ、そして私をあらゆる苦しみから解放しようと、阿弥陀仏がそれに必要な全てを込めて仕上げてくださった言葉です。母の作ってくれる料理をただ食べることによって子どもが育てられていくように、阿弥陀仏が仕上げてくれた南無阿弥陀仏という六字の言葉を私が口にすることで、この私のいのちが「仏」へと育てられていく。
普段何気なく食事を終わらせてしまうことも多いかもしれませんが、たまにはゆっくりと、家庭の味というものを味わいながら、そこに込められた想いも共に味わいたいものです。そしてまた、南無阿弥陀仏という言葉に触れる時、そこには阿弥陀仏という仏さまが私を思ってくださっているということもまた、感じていただけたらと思います。
今の私たちの環境を見回すと、食事はとても簡単にできるようになっています。ファストフードやコンビニなど、安くて手軽に食事を摂ることができますから、ただ単に生命を維持し、身体を成長させるのであれば、これらの食事であっても事足りるでしょう。けれど、これだけではなにかが足りないように感じられます。それはその食事に込められた想いです。親が子どもに作る料理には、いろいろな想いが込められていることでしょう。栄養のバランスが偏らないよう、身体がキチンと成長できるようにという想いや、できるだけ美味しく、食べることも楽しんでもらえるようにという想いなど、いろんな工夫や愛情が毎度毎度の料理に込められている。家庭の味というものは、ただ生命を維持し成長を助けるだけでなく、人間が人間らしく育つために必要な全てが込められているものなのかもしれません。
「南無阿弥陀仏」という六字の言葉も、私はこの家庭の味と同じようなものであるのかもしれないと感じました。この六字は、ただの言葉かもしれません。けれどこの言葉は阿弥陀仏という仏さまによって用意された言葉です。私たちの口に合うように仕立てられ、そして私をあらゆる苦しみから解放しようと、阿弥陀仏がそれに必要な全てを込めて仕上げてくださった言葉です。母の作ってくれる料理をただ食べることによって子どもが育てられていくように、阿弥陀仏が仕上げてくれた南無阿弥陀仏という六字の言葉を私が口にすることで、この私のいのちが「仏」へと育てられていく。
普段何気なく食事を終わらせてしまうことも多いかもしれませんが、たまにはゆっくりと、家庭の味というものを味わいながら、そこに込められた想いも共に味わいたいものです。そしてまた、南無阿弥陀仏という言葉に触れる時、そこには阿弥陀仏という仏さまが私を思ってくださっているということもまた、感じていただけたらと思います。
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