初夏の読書感想文
- 2014年06月22日(日) 文:sakulla
- 仏声人語
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週刊ジャンプで冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』の連載が再開した。
初っ端から、これまたとんでもなく大風呂敷を広げた内容になっているので、思わず途中で力尽きないか心配になったのは私だけではないはずだ。
溢れかえった私の本棚には、連載休止になってから増えることのなくなった単行本が並んでいる。
復習がてら、なんとなくページをめくっていると、目に入ったセリフに手が止まる。
「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」
人の気持ちを知ろうとしても、その気持ちを自分の気持ちに当てはめて考える。
それは結局、人の気持ちではなくて、自分ならどう思うかという自分の気持ちに取って代わってしまっているのが現実だ。
それに、人の気持ちというのはストレートのように思えても、表にあらわれる感情が本当の気持ちであるとは限らない。
自分が想像した斜め上あたりにあったりすることも多々あって、思い測ろうにも、なかなか難しいものであったりする。
だが、人の気持ちの「怒り」に関してだけを考えれば、表にあらわれたその感情が偽りであることは滅多にない。
「怒り」だけは、その人の嘘偽りのない本当の気持ちであり、隠されることのない「怒り」は、その人が何を大事にしているかということを如実に表しているように思えてくる。
そんな「怒り」も、仏教では煩悩の一つであって、根強いため毒にも例えられている。
「怒り」の毒を撒き散らすことを奨励するわけないし、撒き散らすのも撒き散らされるのもイヤだけど、イヤだと思っているのに撒き散らし、撒き散らされることが止むことはないという。
そんな人間の本性と、他でもない私自身の本性を見つめた後に、その「怒り」が「自分が正しい」という自分中心の思いに駆られた末にあるということを知ることもあるだろう。
そして、その自分中心という本性が、自分の大切にしているものを真っ直ぐ誰かに伝えようとするとき、「怒り」という感情が現れるのではないかと考えた。
自分にとって大切な何かを守るための「怒り」。
でもその大切な何かは、誰にとっても大切なものではない。
そして、その守るための「怒り」は、ときに誰かの大切なものを傷つける。
そうして、新たな「怒り」が生まれてゆく。
そんな「怒り」の連鎖によって生まれた闘いが、『HUNTER×HUNTER』(幻影旅団編)には描かれていた。
けれど間違ってはいけない。
「怒り」で知った本性は、ほんの一部でしかないことを。
「怒り」という毒を捨てることは、大切な何かを捨てることとはイコールではないということを。





