「べてるの家」からお寺の可能性を感じる
- 2014年06月30日(月) 文:tatsuya
- 仏声人語
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友人から勧められた書籍「べてるの家」。べてるの家とは、1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。その書籍を読み、そうだ北海道に行こうと。そんな時、Facebookを見ていると、戸塚の善了寺様にて「LOVE IS THE MOVEMENT!! 〜愛とは弱さを抱きしめること〜」のイベント案内があり、ホストはソーシャルワーカーであり、「べてるの家」理事の向谷地生良先生でした。迷わずに、参加させて頂きました。
会場となった聞思堂は超満員。
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こちらが、べてるの家の理念です。
・安心してサボれる職場づくり
・手を動かすより口を動かせ
・自分でつけよう自分の病気
・偏見差別大歓迎 ・幻聴から幻聴さんへ ・場の力を信じる
・弱さを絆に ・べてるに染まれば商売繁盛 ・弱さの情報公開
・公私混同大歓迎 ・べてるに来れば病気が出る ・利益のないところを大切に
・勝手に治すな自分の病気 ・そのまんまがいいみたい ・昇る人生から降りる人生へ
・苦労を取り戻す ・それで順調、などなど
「さぼってはいけない職場」「口を動かすより手を動かせ」でしたら、ウンウンとうなずけますが、正反対です。
講演の中、印象に残った言葉が「昇る生き方から降りていく生き方」。お金や地位名誉や便利さを求めていく社会は、人との競い合いになり生き苦しくなる。そうではなく、人間はみな人に見せたくない弱さを抱えている。その弱さを悪しきものと隠すのではなく、弱さの情報公開、弱さに○をつけ見方を変える世界。「あなたは○○ができないと否定して対立する世界ではなく、弱さをきずなとして、つながり助け合い補い合う世界」がべてるの家の理念なのです。ありのままの自分の弱さを認め合い。
今回のイベントのコンセプトも「弱さ」がキーワードです。
★★★★★
「弱さ」と聞いて、あなたはなにを思い浮かべますか?
やっかいなもの。要らないもの。
見たくないもの。嫌なもの。
負けること。できないこと。
遅いこと。小さいこと。
強いもの、弱いもの。排除するもの、されるもの。
「弱さ」を考えると、その周りにある
いろいろなことが見えてきます。
社会が覆い隠そうとする「弱さ」
誰もが抱えている自分の中の「弱さ」
あなたのそばにいる誰かが抱える「弱さ」
「弱さ」に向き合い、受け入れることができたら
自分や自分のまわりにある全てのものを
愛おしく感じるかもしれない。
そばにある「弱さ」に寄り添ってそっと抱きしめ、
素敵なトークとミュージック、アートに包まれながら
夏のひとときを過ごしませんか?
LOVE IS THE MOVEMENT
愛とは弱さを抱きしめること
電気を消してスローな夜を。
★★★★★浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、愚禿親鸞と仰った。仏さまに照らされ見えてきた姿であります。そこには、親鸞聖人が20年という長い間修行したけれども、完璧な人間になれない悲しみがあり、同時に完璧でない弱さを抱えたまま、まるごと抱きしめて下さる阿弥陀様のお慈悲の世界との出遇いがあります。
当日、講演をされた方は、向谷地先生の他2人の精神病患者の方がお話されました。お一人の患者さんは、7年間精神病院の閉鎖病棟にいたが、ベテルと出会い、なんと今では彼女も出来た。年間100日位全国各地の講演活動をされています。凄いと思うのは、幻聴などの症状は変わっていない。しかし、幻聴に対する向き合い方がベテル流は違います。幻聴は悪いものと否定するのではなく、「幻聴」ではなく「幻聴さん」と呼び、当事者研究にて現状をシェアして、現実を受け入れて、そのままありのままを認めて生きていくのです。
お話しを聞きながら、今こそお寺の出番だと思った。教育カウンセラーの富田先生が仰るには、1960年代以降に生まれた世代は、偏差値世代。常に評価の中に身を置き、周りの目を気にしながら、損得勘定で生きている。お金・地位名誉・便利さを求め、人と競争していく評価のレールにあわせようとして、苦しみもがいている。苦悩のまっただ中にたくさんの若者がいる。そのレールからおりられる空間が必要ではないだろうか。社会のセーフティーネット。学校でも家でもないサードプレイス。レールからおりることが出来る場所が、いつも仏さまがご一緒下さるお寺ではないだろうか。阿弥陀さまは、どんな時でも私のいのちをめがけて飛び込んで下さる、南無阿弥陀仏と。
親鸞聖人は、当時の仏教界の社会をドロップアウトして、もっと広い世界を生きて行かれた。そこには、それまで隠さざるえなかった弱さや悲しさが肯定され、力強くしなやかに生きていく世界がひろがっている。





