2月の読書感想文 「クレヨンからのおねがい!」
- 2016年02月14日(日) 文:sakulla
- 仏声人語
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昨年の話になるが、小学生になって初めての夏休みということで、 息子は読書感想文という大きな壁に直面した。
4冊の課題図書の中から息子がチョイスしたのはドリュー・デイウォルト作「クレヨンからのおねがい!」
ある朝、主人公ケビンのもとにクレヨン1本1本から手紙が届いたことに始まる物語である。
使われすぎて休みたい赤。
もっと使って欲しい黄土色。
引き立てるための線を引くことに飽きた黒。
太陽の色を争いケンカする黄色と橙色。
手紙にはそれぞれの色によるそれぞれの主張が書かれてあった。
それを読んだケビンは、最後にユニークな絵を書き上げ先生に褒められて話は終わる。
クレヨンを使う機会が多い小1には身近な題材ゆえ書きやすいと思ったのだが、読んだ息子の反応はイマイチの様子。
それならと、まずは私の持てる能力の全てを賭けて読み聞かせることにした。
感情を込めて読むことで、それぞれの主張のニュアンスが伝わったようで、結果、背後に親の影がチラつかない程度の感想文を書き上げることができた。
しかし、これだけやって息子にばかり書かせるのも味気ない。
というわけで、全身全霊を賭けて私も感想文を書くことにした。
ちなみに、以下の感想文は去年の夏の段階で書き上げていたが、全国規模の課題図書だったこともあり、公表を保留したまま忘れ、今に至った。
「クレヨンからのおねがい!」を読んで
私は潔癖な性質を持つ子供だった。
手に色が着くのが嫌だった。
ケースが汚れてしまうのが不快だった。
短くなったらフィルムを破るという不揃いな姿が気持ち悪かった。
何より、はみ出さず、きっちりと塗ることのできないクレヨンというものが嫌いだった。
だから、必要以上に使われない私のクレヨンたちは、子供のものとは思えないくらい綺麗なままだった。
もし手紙が書けたとして、ほとんど顧みられることのなかったあのクレヨンたちが、私へ手紙を書くだろうか考えた。
答えは否だ。
手紙を書くということ、そこには少なからず愛着が必要だと思ったからである。
必要とされることを知っているから、読んでもらえると信じているから、ケビンのクレヨンたちは自分の思いを伝えることに躊躇がなかったのではないか。
だから、あの頃の私に変わって、今の私がクレヨンたちに手紙を書こうと思う。
さて、何を書こうか。
やはり一番伝えたいことを書くことにしよう。
「君たちは悪くない。
軟らかく、体の全てで色を出すのだから、使えば手に色がつくのは当然だ。
仕舞えばケースに色が移るのだって仕方がない。
フィルムの破け方も、バラバラになったなら個性だと思えば面白い。
枠にとらわれず、はみ出して塗ったところも擦ってぼやかせば味が出る。
全ては君たちが生来に持つ特徴だ。
君たちの意思でどうすることもできない特性だ。
けれど、小さな私はそれが分からなかったのだ。
嫌われる側にも嫌われるだけの要因がある。
そうやって、受け入れられない理由の責任を君たちに押し付け否定した。
受け入れるかどうかは私の都合でしかないのにだ。
さぞ理不尽に感じたことだろう。
使ってもらいたかったことだろう。
体全体で表現できる素晴らしい特性を発揮するために作られたのに。
汚れることを許されず、綺麗であることを強いられて。
さぞ悔しかったことだろう。
もしかしたら、きみたちは「自分たちが悪い」と思ってしまったかもしれない。
だが、君たちに問題があったんじゃない。
私に問題があったのだ。
そして、君たちにそう思わせてしまった私が悪いのだ。
ごめんなさい。
君たちの友達になってあげなかった私より。」
この本を読んで最初に感じたのは、クレヨンたちにこんなにも語らせてあげられなかったという申し訳なさだった。
誰しも受け入れられないことは確かにある。
しかし、それは否定して良いということと同義ではない。
自分では変えようのないことで嫌われるということは、自分の身に置き換えずとも想像するだけで悲しみが湧いてくる。
無機質だから、意思がないから、クレヨンだから。
「だから良い」と思えてしまえる心を持つならば、きっと人にだって同じように思ってしまうのではないか。
「家族じゃないから」「友達じゃないから」「知らない人だから」
だから良いのか?
良くはないと思える今も、変わらずクレヨンは苦手である。
でも人は変わる。
頑なさは薄れていく。
だから嫌いではないし、上手に使ってあげられる技量があればいいなと思っている。
そして、実直塗りつぶすだけの技量しか持たない息子に、手を汚すことで初めて表現できるクレヨンの特性を教えていきたいと思っている。
すでに捨ててしまったあの頃のクレヨンたちには、この手紙は届かないかもしれない。
届いたとしても読んでもらえないかもしれない。
それは悲しいことだけど、自分で蒔いた種だと思い受け止めよう。
でも、やっぱり何度でも伝えたい。
君たちは悪くないんだと。
