ゴンシキ日記9時間目
- 2008年10月01日(水) 文:
- ゴンシキ日記
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7/13
日曜日。この日はお晨朝当番ではないけど、一般参拝者としてお晨朝にお参り。
その後、岐阜県までお参りのお手伝いに行くためだ。ちょうど起きる時間がそんなに変わらないから、どうせならお晨朝出てから電車乗って行こうと思って・・・。
お晨朝当番は各班が交替で毎日行っている。この日も出勤しているゴンシキの受講生がいた。
後ろの方から見てたんだけど、緊張感が伝わってくる。ちゃんと正座から立ち上がることができるだろうか。結婚もしてないのにオヤゴコロのような気持ちになった。
お衣をつけて出勤していると、中でお勤めしている人たちはみんな同じに見える。
自分たちはあくまで研修を受けている身。
でも。
参拝者から見ると同じ出勤している僧侶。
そのことをちゃんと肝に銘じておかないと、と思った。
同じことでも見方を変えると見えてくることもあるんやなぁ。
夕方、長井さん(ミャンマーで軍によって射殺されたジャーナリスト。みなさん覚えています??)のことを通して戦争について考えるシンポジウムがあったんだけど、疲れて出席できず。
中心になって活動しているのは、浄土宗西山禅林寺派の僧侶である岸野さんという方。長井さんの撮影したネガはミャンマー軍がまだ持っていて、それを返してもらおうということも併せて活動しておられる。
週末には京都の街中で署名活動もしてはって、とっても頭の下がる方。岸野さんは僧侶兼ジャーナリストだけに、何かをしないと!という衝動にかられるんだろうね。
7/15 7/16 7/17 7/18
この時期になると、どれもまとめの講義になる。
ということは・・・終わりも近い。ということは・・・修了試験も近い。ということは・・・もう少しで日程もあとわずか。
何でもそうだけど、終わりが見えるとしんどいと思えることでも、なんかイトオシクなる。
まとめの講義はこれまで行ったものの復習だけでなく、各お経を拝読するときの心持ちや作法などのことも改めて聞く。
ゴンシキは読むだけでいいのではなく、その読む姿勢、作法、その経典の意味を考えながら拝読して初めて「拝読する」と言えるんだろうね。
三日間の休みののち、修了試験。この三日間をどう過ごすかがポイントだろう。とりあえずはゆっくり寝たい。
7/22
試験一日目。実唱試験は今までの中間試験と同じパターンで行われる。
この日は声明と筆記。
声明はこの日記にはあんまり書かなかったけど、これが曲者。一番節の上り下がりが激しくて大変な分野。前の日記でも書いたけど、発声をするのに1つの文字をずっと発音して、しかも高さを変えながらってのもあって大変。
筆記はどこ出るか分らないから、まんべんなくやっとかないと・・・。
この声一つ一つで合否が決まってしまうと思うと、声が震えてくる。この緊張感を乗り越えてみんな合格していったんやね。みんなすごいわ。尊敬するわ。
7/23
試験二日目。
この日は礼讃と正信偈と御文章の試験。
昨日の声明と違って三つとも範囲が広すぎてここが出るだろう!というヤマをはれない。出そうなところはいくつかあるけど、ただ声明ほど確証がない。
緊張をどのようにして味方につけるか。ここまでくるとその方が大切な気がする。
エレクトーンを趣味でやってるんだけど、人前で演奏する時は足が震えるくらい緊張する。でも、その緊張は練習してきたという自負があれば味方になるし、練習不足なら自信のなさにつながる。
そんでもってスタートボタンを押すとあとはどうにでもなれ!くらいで思いっきり演奏するようにしている。
そして。
第一声。一呼吸おいて「あー・・・」と始める。
なんと!
しょっぱなで御文の読み間違い。経典をそのまま読むので言葉を間違えるのは致命的なミスなのである。
「す、すみません・・・最初から・・・」今回の試験で初めてやり直しをした。
やり直しはよくないとは聞く。音楽だって一度始めて、途中でやり直すって印象よくないもんね。こりゃタブン減点だな。
激凹みは必至。
日曜日。この日はお晨朝当番ではないけど、一般参拝者としてお晨朝にお参り。
その後、岐阜県までお参りのお手伝いに行くためだ。ちょうど起きる時間がそんなに変わらないから、どうせならお晨朝出てから電車乗って行こうと思って・・・。
お晨朝当番は各班が交替で毎日行っている。この日も出勤しているゴンシキの受講生がいた。
後ろの方から見てたんだけど、緊張感が伝わってくる。ちゃんと正座から立ち上がることができるだろうか。結婚もしてないのにオヤゴコロのような気持ちになった。
お衣をつけて出勤していると、中でお勤めしている人たちはみんな同じに見える。
自分たちはあくまで研修を受けている身。
でも。
参拝者から見ると同じ出勤している僧侶。
そのことをちゃんと肝に銘じておかないと、と思った。
同じことでも見方を変えると見えてくることもあるんやなぁ。
夕方、長井さん(ミャンマーで軍によって射殺されたジャーナリスト。みなさん覚えています??)のことを通して戦争について考えるシンポジウムがあったんだけど、疲れて出席できず。
中心になって活動しているのは、浄土宗西山禅林寺派の僧侶である岸野さんという方。長井さんの撮影したネガはミャンマー軍がまだ持っていて、それを返してもらおうということも併せて活動しておられる。
週末には京都の街中で署名活動もしてはって、とっても頭の下がる方。岸野さんは僧侶兼ジャーナリストだけに、何かをしないと!という衝動にかられるんだろうね。
7/15 7/16 7/17 7/18
この時期になると、どれもまとめの講義になる。
ということは・・・終わりも近い。ということは・・・修了試験も近い。ということは・・・もう少しで日程もあとわずか。
何でもそうだけど、終わりが見えるとしんどいと思えることでも、なんかイトオシクなる。
まとめの講義はこれまで行ったものの復習だけでなく、各お経を拝読するときの心持ちや作法などのことも改めて聞く。
ゴンシキは読むだけでいいのではなく、その読む姿勢、作法、その経典の意味を考えながら拝読して初めて「拝読する」と言えるんだろうね。
三日間の休みののち、修了試験。この三日間をどう過ごすかがポイントだろう。とりあえずはゆっくり寝たい。
7/22
試験一日目。実唱試験は今までの中間試験と同じパターンで行われる。
この日は声明と筆記。
声明はこの日記にはあんまり書かなかったけど、これが曲者。一番節の上り下がりが激しくて大変な分野。前の日記でも書いたけど、発声をするのに1つの文字をずっと発音して、しかも高さを変えながらってのもあって大変。
筆記はどこ出るか分らないから、まんべんなくやっとかないと・・・。
この声一つ一つで合否が決まってしまうと思うと、声が震えてくる。この緊張感を乗り越えてみんな合格していったんやね。みんなすごいわ。尊敬するわ。
7/23
試験二日目。
この日は礼讃と正信偈と御文章の試験。
昨日の声明と違って三つとも範囲が広すぎてここが出るだろう!というヤマをはれない。出そうなところはいくつかあるけど、ただ声明ほど確証がない。
緊張をどのようにして味方につけるか。ここまでくるとその方が大切な気がする。
エレクトーンを趣味でやってるんだけど、人前で演奏する時は足が震えるくらい緊張する。でも、その緊張は練習してきたという自負があれば味方になるし、練習不足なら自信のなさにつながる。
そんでもってスタートボタンを押すとあとはどうにでもなれ!くらいで思いっきり演奏するようにしている。
そして。
第一声。一呼吸おいて「あー・・・」と始める。
なんと!
しょっぱなで御文の読み間違い。経典をそのまま読むので言葉を間違えるのは致命的なミスなのである。
「す、すみません・・・最初から・・・」今回の試験で初めてやり直しをした。
やり直しはよくないとは聞く。音楽だって一度始めて、途中でやり直すって印象よくないもんね。こりゃタブン減点だな。
激凹みは必至。





