キサー・ゴータミー

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前のコラム(十月十日の朝 by sakura)が子どの話に触れていたので、続けて子ども繋がりの話をしてみます。

仏典にはこんな話しがあります。

むかし、インドにキサー・ゴータミーというひとりの母親がいました。
ゴータミーには、病弱なひとりの子どもがいました。
その子が歩き始めた頃、悲しいことに病気で死んでしまいました。
こどもが死んだという事実を受け入れらないゴータミーは、こどもを背負い、町中を歩き始めました。
そこで、生き返る薬を探し回るのです。
でも、そんな薬を知っている人は誰もいません。
途方に暮れるゴータミーに、一人の賢者がこう言います。

「祇園精舎におられるおシャカさまに会いに行きなさい」

ワラをもすがる想いのゴータミーは、すぐに祇園精舎へ向かいます。
そして、おシャカさまに、こどもが生き返る薬を教えてください、と懇願します。

おシャカさまは、こう言いました。

「町へ行って白色のケシをもらい、ここに持ってきなさい。
ただし、今までに死者を出したことのない家からケシをもらわなければなりません。」

ゴータミーは町へ行き、一軒一軒訪ねて、死者が出ているかどうかを聞いてまわりました。

「うちは去年旦那がいってしもうてのぅ」
「もう20年になるが、父親が病気で逝きました」
「うちもこどもを亡くしたばかりなんです」

どの家へ行っても、死者が出たと言います。
ゴータミーは次第に冷静さを取り戻し、再びおシャカさまのもとへ行きます。
そこで初めておシャカさまは法を説かれました。
その話しを聞いたゴータミーは、ようやく我が子の死を受け入れることが出来たのでした。


もし我が子がいのちを落としたら。
そんな想像はしたくもありませんが、諸行は無常。
さすがに死んだものを生き返そうとするほど、狂乱しないとは思いますが、
その事実を受け容れられず、途方に暮れることになるのでしょう。
そして、それが、死ぬかもしれないという状況ならば、ワラをもすがる想いで、
ゴータミーと似たような行動を起こすのかもしれません。

仏教に死んだものを生き返す教えはありません。
病気を治す教えもありません。
お金が儲かる話しもなければ、事故に遇わないような教えもありません。
つまり、それらがもし克服されたとして、それが本当のしあわせとは見ていないことになります。

生まれたものは、老いて、病気をして、死にゆく。
当たり前中の当たり前だけど、それを受け入れられない私に対して、
諸行無常の事実を示した上で、生死を越える道を説かれたのがおシャカさまでした。
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