メリシャカQ&A メンバー編7
- 2012年04月30日(月) 文:tatsuya
- お坊さんに質問(メンバー編)
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PNさるぼぼ
幸福は人の心次第だと思いますが、それでも聞きたいです。幸福は?、人類に平等なのでしょうか?
幸福という言葉を聞くと思い出す西洋の詩人・カールブッセの詩があります。
山のあなたの空遠く「幸い」住むと人のいう。
ああ、われ人と尋め行きて涙さしぐみ帰り来ぬ。
山のあなたになお遠く「幸い」すむと人はいう。
ある旅人に「山の向こうに行けば幸いがある」と言う。その旅人は、山の向こうまで行けば幸せになれると信じて、山を登っていく。やっと山を越えて幸いのいるところまでたどりついた。そこには幸いはいなかった。また、こう言われた。山のあなたになお遠く「幸い」すむと人はいう。
ある旅人とは自分のこと。「幸いというものは、追いかけても先に逃げていってしまうもの」であることを教えてくれる詩であります。
私事でありますが、学生時代の幸せは、ブランドものを身につけることでした。まずは、キーケース。その次は財布。そしてバッグというふうに一通り揃えると、今度は違うブランドのものが欲しくなります。そのブランドが好きだということもありましたが、みんなが持っていないものを持っているという優越感もありました。ブランド品欲しさに万引きをしたというニュースを聞いたことがありますが、物を獲得することが幸せという価値観を中心にしていたら、それを獲得するためにお金を持っていなければ万引きをしてしまいます。「欲」という字は谷に欠けると書きます。谷がない。つまり、のぼるばかりで1つかなえば又1つ、次から次に終わりがない。だから、これもほしい、あれもほしいと欲望の炎が燃えさかります。私は、学生卒業と共にブランド熱は冷めました。
それでは、幸せとは何か?といえば、辞書を見れば、幸せという字を昔は「仕合わせ」と書いておりました。今使用している「幸せ」という字は、獲得することによる恵みを表しています。「仕合わせ」とは、仕え合うこと、人と人とが互いに支え合う、助け合うことです。さまざまな巡り合わせへの感謝の思いが「仕合わせ」であります。
しかし、私たちは、自分にないもの、欠けているものを、不足しているものばかりに目を向けて、それに心をとられてしまいます。病気になれば、病気に心をとられて、病気が良くなったら幸せなのにと思います。お金に困れば、お金にばかり心を取られて、お金があれば幸せなのにと思います。自分にないもの、不足しているものばかりに心を取られて、こうなったら幸せなのに、ああなったら幸せなのに、と幸せを求めていきます。そういう人は一生幸せになれないと、カールブッセの詩は伝えたかったのではないでしょうか。
幸せは、求めていくものではなく、今の私の身に与えられてあるものの中に、見つけていくもの。私の願いが叶うことが幸せだと考えている限りは、幸せは平等ではないかもしれません。しかし、今ある恵みに目を向けて、そこに手を合わせ感謝する心が生まれた時に、すべてが尊いご縁であったというしあわせを実感できるのではないでしょうか。
しかしながら、幸福と言えば、豊かさ・健康・楽であることを思い浮かべ。全く逆の境遇にいる時は不幸せと感じてしまいます。しかし、その時にしか味わうことのできない人生の深みがあります。どの瞬間も無駄ないのちでない、尊い瞬間を生きているという仏様の願いを聞かせて頂きながら、人生を歩んでいきたいと思います。





