メリシャカQ&A; メンバー編8

 

Q 今、生活に困っていません。しかしなぜかいつも不安です。この不安はどうしたら消えますか?(PN ふじ)

 

僧侶にもポジティブな性格と、ネガティブな性格の者がいます。私はかなり後ろ向きの性格のため、やはり不安感を抱えてきました。


不安感が強いのは自意識が過剰になっているからです。不安感は、いいかえれば危機感で、自己防衛の為の意識でもあり、生存のためには必要なことです。それがアレルギー反応のように、過剰に反応してしまうと、逆に生活に支障をきたしてしまいます。

現代社会は、私たちが意識する以上に複雑で、そうした中で生活する者は、私も含めてどうしても不安感を過剰に持つようになるのだと思います。



それをゼロにすることは不可能ですが、ある程度抑制することはできます。

その為に必要なことは「自分で背負い込まない」ということを心がけることです。「まかす」「ゆだねる」という意識を持つ。これには多少の訓練が必要かもしれません。

その試みとして、「へっちゃら」と口にしてみてください。私は時々ひとりごとのようにつぶやきます。不思議と楽になるのです。「がんばろう」という言葉は重たいですが、「へっちゃら」という軽い響きが、私は好きです。
うまくいっても、行かなくても「へっちゃら」なのです。本来、良いも悪いもないのですから、へっちゃらなのです。


それともう一つ。仏道を志す際多くの場合、師匠をもちます。師匠というのは、厳しさもありますが、支えてくれる安心感もあるものです。「自分のはからいを交えず、師の仰せのとおりなす」

仏門に入っている人でなくても、そこに何らかのヒントがあるように感じます。




Q
 人生の最大のピンチはありましたか?それをどうやってくぐり抜けてきましたか?やさしく説いて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。(PN じんまさ)


ピンチは度々あります。最大のピンチ…。ここではちょっと話しにくいことなので、今回は割愛させていただきます。


先ほどのお答えとも繋がることですが、私は自意識が過剰で、何ともならないようなことを、何とかしようと思う性分です。そんな私がよくする方法は、問題や課題を「紙に書きだす」ということです。

不思議と解決方法がみつかったり、無理かなと思っていたことが実現したりします。
そして、もし無理でも、あきらめがつくのです。

ピンチはのりきるものでもありますが、どうにもならないことも度々あります。くぐり抜けるということは、あきらめるということも含まれると思います。仏教ではあきらめるとは、あきらかにするという意味で、ポジティブな受けとりです。


あきらめかたにも色々あります。そのためにも問題、課題をシンプルに書き出し、少し人ごとのように冷ややかに距離を持ち、自分の問題に向き合うということも必要だと思います。




Q
 信仰とはなんでしょう?仰ぐのは仏像?経典?自分?(PN サトーマン)

Q 阿弥陀さまとはなんですか?(PN ラーフラさん)

Q 念仏とは具体的になんですか?(PN 奈良の水星)


信仰についてのご質問に、私の思う範囲でお答えしたいと思います。

ニュートンは、万有引力を発見しました。普通、リンゴは木から地面に落ちるように見えますが、それを地面、つまり地球がリンゴを引っ張っているということを発見したのです。

誤解を恐れずいいますと、私が仰ぐのは、仏像でもなく、経典でもなく、自分でもなく、そこにあらわれた「はたらき」です。そのことを姿であらわされたのが仏像であり、言葉であらわされたのが経典、そしてそのすべては私の為にあります。わたしを真理へと導く「はたらき」を、私は南無阿弥陀仏とお呼びし、聞き、感じ、礼拝しています。




Q
 時々、髪型をかえたくなりませんか?(PN イッシー)

Q お坊さんは丸坊主のイメージがあるのですが、浄土真宗では何故髪を剃らないのですか?いつから剃らないのですか?(PN 大空)

 

浄土真宗では剃髪は義務づけられていませんし、私も髪の毛を適度に伸ばしています。逆に、時々丸坊主にしたくなります。自信がなくてできません…。(丸坊主にすると、目立ち、注目を浴びる…と思っています。自意識が過剰ですね)

浄土真宗で剃髪をしなくなったのは、今から百年ほど前、大谷光瑞ご門主の頃からです。ヨーロッパに留学され、西洋の近代的な宗教事情に精通された光瑞ご門主が、帰国後、それを実践されるなかで、剃髪を僧侶に強いることを改められたのです。これは非僧非俗と、自らを位置づけられた親鸞聖人の生き方にも合致するところであったのだと思います。

義務ではないのですが、浄土真宗の僧侶にも剃髪している人は沢山います。若い方の中に多いように思いますし、どちらかといえば剃髪している中にイケメン僧侶が多いように思います。



最後に

昨年末、開催したメリシャカLIVE。その際「お坊さんに聞いてみよう!」と、来場の皆さんから沢山の質問をいただきました。その際、ふれることができなかった質問http://ms-live.net/に対して、今回メリシャカのサイトにて、ゲスト僧侶のご協力をいただき、そしてメリシャカメンバー僧侶が、それぞれのスタンスでお答えさせていただきました。

  私の
法話の師匠がよく「問いを持つことの大切さ」を話してくれます。それは同時に「問いを聞くこと」、そして「問いを待つこと」の大切さでもあります。問いを聞こうともせず、まして、待つことをせず、先に「答え」を押しつけようとする大人、そして私たち僧侶への指摘でもありました。


メリシャカライブでは、参加者から「問い」を集めて、それを共有することがらスタートし、そこに応えていきたいと考えました。
しかし、私自身このイベントに参加して、ともに音楽を聴き、法話を聴聞する中、思いが変わりました。
 法話の後、MC木下明水さんによって紹介されていったお坊さんへの質問。それが私自信の問いであると感じたのです。そして、
答えを聞くことや、答えを示していくことだけが目的でない。「問い」を共有し、ともに歩み続けること。それこそが仏教の本質、仏教のすべてだと感じました。

今年も、4回目になるメリシャカライブを企画しています。法話meetsMusic. 最高の音楽と、法話がであう場です。私自身、問いをもって望みたいと思います。参加いただく皆さまも、それぞれの問いに向き合い、そしてあたためて、本願寺でお会いしましょう!

Tweet
コメント








   
TWITTER+SHAKAMUSIC
チケット予約はこちら
新しい記事
月別アーカイブス
エディター
とし
twitter メリシャカサイト用mixiロゴ.gif メリシャカサイト用facebookロゴ.gif

お問い合わせ
メルアド.gif